和子の生い立ち-20〜親子喧嘩〜

「せめて5月の祭りまで帰って来るなよ〜」って母に言われて
家を後にした和子でしたが、両親や兄姉が心配する程の事も無く
泣き事一つ言わず、頑張って居る和子に母も安堵したでしょうね?
有る時、実家に帰ると・・・姉さんとおとったんの喧嘩騒動で
父は家を出て兄ちゃんの家へ行ったとか?


姉さんは女系家族で育ち、兄嫁と2人で百姓をし家計を支えて居たとか?
父親の怖さを知らない姉さんは・・・
当時、兄ちゃんは父との炭焼きを辞めて大滝山林組合に勤めて
一部の山林組合の山を守って居ました。苗木を植えたり、下刈りを遣ったり
枝打ちをしたり・・・結構オバサン連中を使って大々的に頑張って居ました
そのオバサン連中の中には、姉さん、姉ちゃん、たずえさん(兄ちゃんの女房)と
村のオバサン達、たずえさんはお嫁に来る時、自転車を持って来、姉さんは
あにやんのお古の自転車、姉ちゃんは歩いて山に出掛けて居たそうです。
有る時、父は「とみ子だけ歩いて行くのは可哀そうだから
自転車を買って遣る」と言ったそうです。当然我が娘だから・・・
すると、姉さんも「とみ子さんに買って遣るなら私にも買って欲しい」と
おねだりをしたそうです。「おまえは義雄の自転車が有るから其れで良い」と・・・
父親の怖さを知らない姉さんは「嫁の立場」とも考えず、かなり反抗し
父は頭にきて「ワシは、し〜こ(次男)の所へ行く」と言いだし・・・
母に「し〜この所へ行くから、おまえも付いて来い」と・・・
でも母は・・・
「私は絶対に、し〜この所へは行かない。行きたかったらおとったん1人で
行けば良い。1旦義雄の家を出たら2度と帰っては来られない。
ナツ〜は親の面倒を看る覚悟でお嫁に来ているけど、たずえは弟の嫁で
今は良くして呉れても「条件が違う」と跳ね返されても仕方が無い
私は絶対に行かない」と言い切り母は行かなかったそうです。
父は仕方なく兄ちゃんの家で1ヶ月ばかり居候をしたそうですが
やっぱり居心地は良く無かったのか、我が家に帰って来たそうです。
だけど結局、姉ちゃんの自転車も姉さんの自転車もどう成った事やら?
家には新しい自転車も無かったし〜姉さんの自転車は買わなかった様です。