絶対に帰っちゃダメ・・・

山中家の親奥様も亡くなり和子も結局は2年半ほどお付き合いをした彼との

縁談も終止符を打ってソロソロ1年の行儀見習いも終わりに近い頃・・・

台所で夕飯の片付けをして居ると奥の部屋で夫婦喧嘩が始まったらしく・・・

異様な雰囲気でした。

以前にも述べましたが、親奥様は若奥さまとは犬猿の仲で年中嫁いびりを

して居ましたが、亡くなる前に三男のお宅に暫くお世話に成ってる間に

手帳にびっしりと若奥様の悪口が書いて有ってそれが原因で今晩も

夫婦喧嘩を・・・若奥様は旦那様と別れる積りか、若奥様の脅しか

未だ若い和子には分かりませんが、とにかく暗く成って家を飛び出して

長浜の実家に・・・

 

和子は一般の家庭なら簡単と「離婚」も有かも知れませんが、この立派な

《第5代山中正吉商店》の奥様が家を飛び出したら2度と帰っては来れない

幼い3人の子供を置いてタカが夫婦喧嘩で・・・里帰りをさせてはいけないと

和子は必死に止めました。でも~若奥様は「帰る」と和子を振り払って帰ろうと

するから・・・「絶対に子供を置いて帰っちゃダメ・・・」と

その時、ポツン・ポツン・・・と雨が降って来て・・・傘を取りにお家に

入られたら・・・中娘の美代子ちゃんが大粒の涙を零して・・・

「お母さ~~~ん・お母さ~~~ん」と・・・

その涙に負けて長浜に帰らないで留まったけど・・・和子も一安心(笑)

次の朝、お手伝いのおばさん達に「若奥様の脅しだからほ~って

置けば良かったのに・・・」って笑われちゃった((^▽^笑) )

 

【若作り 席をゆずられ ムダを知り(シルバー川柳)】

 

密葬と告別式の後に・・・

両親にすれば四国の彼よりも長浜のお友達の方が同じ県内と言う事で

其れなりに素性も分かるし~大きなお百姓さんの息子さんだから

生活に不自由は無いし・・・「もう一度考えて見たら~」って

言われたけど、未だお付き合いを始めて半年ほどだったし・・・

「百姓はしなくても良いから・・・」と言うのはその場の言葉、結婚したら

田畑を遣らない訳には行かないし・・・和子は都会の憧れを絶対に

捨てたく無かったです。だからと言って今や都会への憧れは無残と砕け

成すすべも有りませんでした。

 

日野に帰って親奥様の密葬・告別式と・・・滞りなく終わりましたが、

和子は生まれて初めてお葬式の場に立ち、一般のお宅と違い密葬でも

驚くほどの弔問客が・・・約一ヶ月ほど経ってから再度告別式を・・・

朝早くから・・・夜遅くまで其れは大変でした。

 

親奥様を送り出し旧式な山中家も、もう少し穏やかな生活が送れるかと

思うと飛んでもない・・・他所に嫁いだ子供さんが、この時とばかりに

親奥様の遺品を、我が物勝ちの様に浚い・・・其々の自宅に・・・

未だ若い、和子は「女の厭らしい姿・今迄皇族家の面々の様な振る舞いを

して居た娘や息子の嫁・・・本性を吐き出したかの様なふしだらな姿・・・

 

【ボランティア するもされるも 高齢者(シルバー川柳)】

 

飛んだ結末に・・・

お友達とはお付き合いも短いし・・・山中さんのお宅では月に2日ほどの

お休みしか頂けなかったし・・・だからと言ってお休みの日に「八日市

お茶でも・・・」と言うデートは記憶に無かったけど~和子が「ドライブに

行きたい」と言ってお休みの朝、近くまで迎えに来て呉れて京都へ・・・

最後のデートの時は「僕の実家に連れて行って両親に逢って貰う」と言われ・・・

和子は「申し訳ないけど・・・私には彼氏も居るし~キズ者だから結婚出来ない」と言っても・・・「百姓が苦手だから・・・」と言っても・・・「構わない・

結婚したら近くに会社も有るから百姓はしなくても良い」と・・・

そんな事を言いながら・・・長浜のお友達のお宅へ案内して呉れて・・・

母屋の前に総2階建ての隠居が建ってて下は農機具が・・・

2階を立派に造作して住処に・・・「此処で新所帯を持つ」と・・・

 

     f:id:akicyan6041:20170902171953j:plain

 

                                 f:id:akicyan6041:20170902171917j:plain

 

其処のお部屋でお父様・オジサン・オバサン・妹さん等大勢の方が集まって

和子を歓迎して下さいました。只お母様は体調を崩して母屋でお休みとか???

散々ご馳走に成って丁寧にもてなしをして頂きましたが、和子は微塵も

彼と別れた後でも「じゃ~この人と」・・・と言う気持ちに成れず・・・

帰りには「送って行ってご両親にお願いをして来る」と言い・・・

和子も母屋の方に寄って「ご馳走様でした」とお母様にご挨拶をしに伺うと

お母さんは玄関まで出て呉れて・・・「あんたは習い物は???」と

言われたのが、印象的でした。

 

お友達の車で実家まで送って貰うと・・・母が・・・

「かーこ・日野の山中さんの親奥さんが亡くなったんだって~早く日野に

帰らな・・・」と言われ・・・縁談のお話しは終りに・・・

その後、急いで日野に帰り・・・お友達との縁団の返事もする暇も無く・・・

又お友達も「私はお嫁には行かない」と度々話して居たから諦めたのか

その後は音沙汰は無し・・・

 

【歩こう会 アルコール会と 聞き違え(シルバー川柳)】

 

和子の彼とお友達-4

オバサンから「彼は未だ若いし~思ってる以上に立派なお宅の息子さんで

『どうしても2人が結婚したいと言うのであれば養子になら許せても

お嫁さんに貰う事は出来ない』と先方さんは言ってるし~

養子に貰うなんて絶対に和ちゃんのご両親は許して貰え無いし・・・

両親の反対を押し切ってまで結婚しても惨めなだけだから・・・

諦めた方が良いよ」と言われ・・・諦めざるを得ませんでした。

それ以来大阪の彼とは自由にデートも出来なく成り・・・

(やっぱり彼の事は諦めるしか無いのかな?)って自分で思う様になりました。

 

f:id:akicyan6041:20170901171638j:plain

 

 

                                    f:id:akicyan6041:20101120095753j:plain

 

和子も何気なく植木職人さんと共にバイトで来ていたお友達とお話しをし

お友達に成って2度ばかり京都の嵐山や苔寺へドライブをして楽しい一時を

過ごしましたが、確かに彼と比較するとず~~~と考える事も大人だし・・・

素敵な男性でしたが、和子の苦手な百姓のお嫁さんには???

其れでもお友達は「和ちゃんがその気に成るまで待ってる」と言って

一生懸命大事にして呉れましたが・・・

だからと言ってお友達と結婚を考える気にはどうしても成れませんでした。

 

【飲み代が 酒から薬に かわる年(シルバー川柳)】

 

 

和子の彼とお友達-3

和子は幼い頃から難病を患い、田舎に嫁いで田んぼや畑を遣ったり

山に行って仕事をすると言う事は、和子には到底、考えられない事

でしたが、都会に・・・せめて京都辺りに嫁ぎたいなあ~と言うのが

和子の夢でしたが、両親の言う事を聞いて居たら都会なんて飛んでもない

 

彼は和子と同じ歳で早生まれで学年は一歳年上でしたが、和子に取っては

一寸考える事が幼稚っぽいと言えばお叱りを受けるけど・・・やっぱり

意見の食い違いが有って良く口喧嘩を・・・でも~折角、大阪に嫁げる

和子が我慢すれば都会に嫁げる夢が叶う・・・20歳其処そこの淡い

彼との恋でした。そんな和子の気持ちをオバサンは聞き入れて呉れて・・・

四国まで聞き合せに行って色々検討した結果・・・オバサンは・・・

 

f:id:akicyan6041:20170816163727j:plain

 

「和ちゃん、四国に行って聞き合せをしてご両親に縁談のお話しもして来たけど

先方さんは『未だ彼は若いし~4人兄弟の3番目だから・・・お互いが

《どうしても結婚したい》と言うのであれば養子になら上げるけどお嫁さんには

貰え無い』と言われたし・・・彼のご実家の長男は香川県の市会議員を務め

次男さんも大学を出て・・・立派なお宅の息子さんだから諦めた方が良いと思うよ~

両親に散々反対されて大阪で結婚生活を始めても惨めだよ~~~』と・・・

 

そのオバサンのお話しを聞いて間無しに・・・山中さんのお宅に植木職人さんの

中にバイトで来ていたお友達は和子より5歳ほど年上で彼と比較すると

ず~~~と大人で頼れる男性でした。

  

【「お年です」それが病気か 田舎医者(シルバー川柳)】

和子の彼とお友達-2

四国から大阪に出て来て床屋さんに勤めて居る彼と、結婚を前提に

お付き合いをしましたが、今から約50年程昔、年老いた両親は素性の

分からない人とは絶対に許して貰えず、頑固に猛反対をされました。

其れでも、和子は子供の頃から難病を患い、出来たら都会に嫁ぎたいと言う

願望が強く、彼を諦められませんでした。

 

そんな時、山中さんのお宅にお手伝いに行くように勧めて呉れたオバサンは

母とは「叔母と姪」の間柄でしたが、取っても仲良しで・・・きっと母は

オバサンに、和子と彼とのお付き合いを零したんだと思う

オバサンは母と年齢の差は余り有りませんが、学校の先生をして居た方だけに

心が広く・・・和子に「お母さんが心配をして居るから私が四国まで行って

調べて来て・・・和子がそんなに彼と結婚したいので有ればお父さんを説得して

上げるからお手伝いさんに行きなさい」と言われて一年と言う約束で

山中さんのお宅へ行儀見習いに・・・

 

学校を卒業をして6年も親元を離れて寮生活をして伸び々して居た和子には

山中さんのお宅でのお手伝いは其れは厳しかったです。

今から思えば50年昔ですが・・・山中さんのお宅の風習は60年も65年も

昔の風習で若奥様が「6畳一間でも良いから伸び々とした生活がしたい」と言う

心境、和子には・・・気の毒な若奥様・・・でしたね?

 

【目には蚊を 耳には蝉を 飼っている(シルバー川柳)】

和子の彼とお友達-1

和子は山中さんのお宅に来る前は工場女工として織物工場に就職をして

800人からの従業員の居る会社に入社して2部制の仕事で社員寮で6年

生活しました。皆さん寮生は恋人が居てお休みに成ると色んな所に行って楽しんで

居る様でしたが、和子はお友達の紹介で一日3時間程ドレメ式の洋裁を

習いに行って毎日洋裁学校に通って居て彼氏が出来よう筈が有りませんでした。

 

所が有る雑誌で「文通欄」を見つけて応募をして文通を始めました。

其れでお友達に成った彼(笑)

和子は幼い頃から「カリエス」と言う難病を患い・義務教育も満足に行けない程

お医者さん通い・病院の入退院を繰り返し、田舎で田んぼや畑をするのは大の

苦手で・・・文通で知り合った彼は四国の生まれで4人兄弟の3男坊で

大阪に出て床屋さんに勤めて居ました。

床屋さんは日曜日もお仕事で火曜日がお休み・・・一寸デートは休みが合わなくて難しかったです。そんな訳で一般の床屋さんは辞めて新聞屋さんのビルの中で日曜日のお休みのお店に転職して呉れて・・・良く京都の中央出口の公衆電話の前で待ち合わせ

デートをしたり・・・会社の近くまで逢いに来て呉れたり・・・して

2年半ほど結婚を前提にお付き合いをしました。

 

 

「いらっしゃい」 孫を迎えて 去る論吉(シルバー川柳)】