エリート駐在員が帰国後、高齢母に感じた異変?

  

《和子は又々こんな記事を見た~》

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    「お義母さんもしかして…」

                     妻が指摘した「まさかの事実」

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資産運用に興味がある。必要性も感じている。でも、どうすれば――?

 金融機関やプロの力を借りるのは有効ですが、

思わぬリスクをはらむことも。本当に信頼できる、

人生を変えるアドバイザーに出会えた人の実体験

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国本貴志さん(仮名)は米国の大学、大学院を出ていて、海外経験や語学力を

生かしメーカーの海外事業部で製品の販路や取引先の開拓を担ってきました。

入社後20年の会社員生活のうち15年弱は海外駐在です。

2016年からは南米での拠点作りに携わっていましたが、コロナ禍で

帰国時期が大幅に延び、2023年夏にようやく日本に戻りました。

駐在中気になっていたのは、武蔵野市の実家にひとりで暮らす高齢の

お母様のこと。帰国後会いにいくと、以前とは打って変わって

老け込んだ様子に心配が膨らみました。実は、お母様はご主人の死による

年金収入の激減に喘いでいたのです。

そんなお母様に適切な助言をし、本来の快活さを取り戻すサポートを

してくれたのが、国本さんの奥様が紹介したあるお金の専門家でした。

国本さんに帰国後の出来事を振り返ってもらいました。

    

海外駐在時代にコロナ禍が発生し、帰国が先延ばしされた私がようやく

東京の本社に戻れたのは昨年夏のことでした。帰国後すぐに向かったのが、

武蔵野市内の実家です。コロナ禍で父が亡くなり高齢の母が残されましたが、

葬儀の時に実家にいられたのは1週間ほどで、役所で差し迫った手続きを

するだけで精一杯でした。 父の相続については税理士と主にメールで

やり取りして相続税の申告まで済ませましたが、大学時代に弟を事故で

亡くして親しい身内もいないことから、母の様子がよく分からないのが

不安でした。

帰国後に会った母の様子

母は専業主婦でしたが社交的な性格で友人も多く、父の面倒を見ながら

自分は自分で生活をエンジョイしているように見えました。しかし、

帰国後に会った母はまるで別人でした。かなり痩せたせいか顔色も悪く、

髪には白いものが目立ち、葬儀の頃より10歳近く老け込んだ印象を

受けました。夕食時になり「お前も食べていく?」と食事の支度をして

くれたのですが、野菜の煮付けに粕汁という文字通り一汁一菜の質素な

もので、それにも驚きました。以前の母は、私が家に帰る度、

食べきれないほどの料理をテーブルの上に並べてくれたものだったからです。

明らかに様子がおかしいと感じ、「体の具合が良くないの?」と

聞いてみましたが、「そんなことはない。行きつけの病院の先生からも

『あなたの年齢で持病もないのは珍しい』と言われるし」と言葉を濁します。

気になったので数日後、母が仲良くしていた隣の山中さんの奥さんに

電話をして、それとなく母の暮らしぶりを尋ねてみました。

「お父さんが亡くなるまでは一緒に観劇や買い物に出かけていたけれど、

コロナ以降はとんとご無沙汰。それに、加奈さんはお花やお習字の教室も

すっぱり止めてしまったから、最近は顔を合わせる機会があまりないの。

先週、スーパーで会って立ち話をしたくらいかな」

そんな話を聞かされると、ますます心配になります。

妻からの想定外の指摘と提案

「お義母さん、ひょっとしてお金に困っていたりしないよね?」

妻の夕季から想定外の指摘を受けたのは、そんな時でした。

さすがにそれはないだろうと思いました。父は地元の工場の総務部で

定年まで勤め上げ、生前は夫婦で月額20万円以上の年金を受給していました。

自宅は持ち家で家賃もかかりませんから、「高齢者二人なら十分暮らしていける」と

聞かされていました。 しかし、帰国後ファイナンシャルプランナー(FP)

の資格取得を目指して学校に通い出した妻は、「やっぱり気になる。

講師のFPの砂沢さんが『ご主人に先立たれた奥さんが経済的に困窮する

ケースが増えているから気を付けて』という話をしていたし」と

納得できないようです。挙げ句の果てには、「貴志には言いづらいかも

しれないから、砂沢さんにヒアリングをしてもらったらいいんじゃない?」と

言い出しました。「私たちがお金の相談をして、その一環として

お義母さんにも話を聞く必要が出てきたって頼んでみればいいんだよ」

なるほど、それはいい考えかもしれないと思いました。人見知りしない

性格の妻は砂沢さんと世間話をする仲だったらしく、妻がお願いすると

砂沢さんは二つ返事で母へのヒアリングを引き受けてくれました。

そして、その翌週には忙しいスケジュールの合間を縫って武蔵野市内の

私の実家まで足を運んでくれたのです。その結果、

驚きの事実が明らかになりました。

   

FP砂沢さんのヒアリングで分かった母親の経済状況

ヒアリングを終えた日の夜、砂沢さんから私に電話がありました。

砂沢さんは開口一番、「大切なことだから、メールではなくお電話で

お伝えしたいと思って」とおっしゃいました。

砂沢さんが訪問した際、母とは初対面とは思えないほど話が弾んだ一方で、

母は自分の話になると一転して口をつぐんだそうです。その母の感情が

溢れたのが、実家の話になった時でした。

「立派なお家におひとりで住んでいらして寂しくないですか?」

砂沢さんがそう言うと、母は一瞬絶句し、その後、

堰(せき)を切ったように語り出したようです。

地価の高騰で年々アップする固定資産税や庭や家屋の手入れの費用、

「ガスは危ないから」と私がアドバイスしてオール電化にしたことによる

電気代の負担など、この家での生活を維持していくことの大変さを

砂沢さんに切々と訴えたのです。母は親の介護で婚期を逃し、父と

結婚するまで年金に未加入でした。その結果、自分の年金額は

月4万円ほどで、父の死後は遺族厚生年金と合わせても11万円程度。

世帯の年金は父の存命中に比べて半分近くに減ってしまい、家の維持費が

大きな負担になっていたようです。娯楽や食事の費用を抑え、入浴の回数や

火を使う料理を減らしてなるべくエアコンもつけない生活を送っていたと

聞き、言葉を失いました。実家の維持と私を米国留学させたことで貯蓄は

ほとんどないけれど、いざという時に備えて父の死亡保険金は

手を着けずにとってあると話したそうです。跡取り息子の私のために、

家や父の残したお金を守り抜くことが自分の務めと考えていたのでしょう。

先日のやつれた姿が目に浮かび、涙をこらえるのに必死でした。

「国本さんが今後ご実家に戻りたいという希望をお持ちなら話は別ですが、

私は、お母様にご自宅の売却をお勧めしたいと思っています」という

砂沢さんに、「私も是非そうしてほしいです」と伝えました。

今の部署だと定年までにあと1~2回は海外赴任の可能性があります。

その間、母をあの家に縛りつけておくわけにはいかないと思ったのです。

状況を改善するため実家を売却

幸い、母には長い年月を過ごした実家への執着はそれほどなさそうでした。

砂沢さんも交えて今後について相談した結果、当面は私の家に同居し、

自宅の売却資金を元手に武蔵野市の高齢者マンションを探すことになりました。

母は転勤族の私を頼るより、知人や行きつけの病院、商店街などがある

地元での安定した暮らしを望んだのです。実家は現時点で2億円以上の

資産価値があるとのことでした。 実際に引っ越しが決まると、

引っ越し業者や片付け業者、不動産屋に至るまで、一切合切を砂沢さんが

手配してくれました。引っ越しの当日には仕事の合間を縫って

駆けつけてもくれました。 私の家で母の荷物を待つ間、砂沢さんは

日本の年金制度について、「ネットでボロくそに言われるほど

ひどい制度ではないけれど、お母様のようなご高齢の寡婦への

配慮が足りないといった穴はたくさんある。私たちが声を上げて

制度自体を変えていかないといけないんです」と熱く語ってくれました。

聞けば、砂沢さんは会社員時代に社会保険労務士の資格を取って独立し、

その後、資産運用の知識の重要性を痛感してFP資格も取得したのだそうです。

利用者目線で制度を分析し分かりやすい言葉で教えてくれる砂沢さんに、

機会があれば話題の新NISA(少額投資非課税制度)のことも

聞いてみたいなと思いました。

ようやく母親に笑顔が戻る

それから半年。武蔵野市の高齢者マンションに移った母は少しふっくらして

髪も染め、以前より若返って見えました。最近では好きな映画を見に行ったり、

習い事を復活したりして楽しんでいるようです。

驚いたのは喜寿直前にしてパソコンを使い始め、由季と一緒に証券会社に

口座を開設しNISAデビューを果たしたことです。

どうやら砂沢さんから助言を受けているらしく、私は完全に先を越された

格好です。 オンライン通話でも笑顔が絶えない最近の母を見ると、

砂沢さんや、砂沢さんとの出会いのきっかけをつくってくれた

由季には感謝しかありません。

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【老い二人 集金人に お茶を出す(シルバー川柳)】