妹が抱いた“複雑な感情”・・・

     

          《和子は又々こんな記事を見た~》

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「あんたは何も知らないだけ」と兄をかばい続ける母…

             金を無心してくる兄(54)の突然死に、

 疎遠だった兄の死を突然知らされ、その後始末に追われた5日間を描いた

エッセイ 『兄の終い』

疎遠だった兄の突然死

「夜分遅く大変申しわけありませんが、村井さんの携帯電話でしょうか?」と、

まったく覚えのない、若い男性の声が聞こえてきた。  戸惑いながら

そうだと答えると、声の主は軽く咳払いをして呼吸を整え、ゆっくりと、

そして静かに、「わたくし、宮城県警塩釜警察署刑事第一課の山下と申します。

実は、お兄様のご遺体が本日午後、多賀城市内にて発見されました。

今から少しお話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」と言った。

仕事を終え、そろそろ寝ようと考えていたところだった。  滅多に

鳴らないiPhoneが鳴り、着信を知らせていた。滅多に鳴らないうえに、

そのときすでに23時を回っていて、着信番号は022からはじまるものだった。

 022? まったく覚えがない。こんな時間に連絡があるなんてよっぽどの

用事だろう。わかってはいたものの、部屋を見回し、家族全員がいることを

確認して、少し安心した。自分にとって、最悪なことは起きていない。

 iPhoneが鳴ったことに気づいた夫がテレビのスイッチを切った。

ただならぬ様子を察知した息子たちが、iPadから顔を上げてこちらを

じっと見た。ペットの犬も息子たちにつられて首を持ち上げ、鼻を動かした。

「今日、ですか?」 「本日、17時にご自宅で遺体となって発見されました。

死亡推定時刻は16時頃、第一発見者は同居していた小学生の息子さんです」

塩釜署の山下さんによると、兄はその日、多賀城市内のアパートの一室で

死亡し、私の甥にあたる小学生の息子によって発見された。15時頃、

甥が学校から帰宅したときには異常がなかったが、ランドセルを置いて

友達の家に遊びに出かけ、再び帰宅した17時、寝室の畳の上で倒れていた。

即死に近い状態だったという。  死亡時の年齢、54歳。

   

 「死体検案書の作成費用が5万円から20万円かかります」

「息子さんが救急車を呼び、息子さんから連絡を受けた担任の先生が、

警察が到着するまで息子さんと一緒にいてくださったという状況です。

ご遺体は現在、隣の塩釜市にある、ここ塩釜署に安置されています。と

いうのも、多賀城市には警察署がありませんので......。  

それから、病院以外の場所でお亡くなりになりましたので、事件性の有無を

捜査しなければならず、検案(※病院以外で発生した原因不明の死亡ケースで、

監察医が死亡を確認し、死因や死亡時刻などを総合的に判断すること)が

行われました。死因は脳出血の疑いです。お薬手帳を確認しましたが、

持病がいくつかおありだったようですね。糖尿、心臓、高血圧の薬を

飲んでいらっしゃいました。  それで......遠方にお住まいで大変だとは

思いますが、ご遺体を引き取りに塩釜署にお越し頂きたいのです。あの、

メモはございますか?」  そう言うと山下さんは、次々と電話番号を私に

伝えはじめた。  兄が住んでいたアパートの大家さん、不動産管理会社、

甥が通っていた小学校、そして甥の実母で、兄の前妻の加奈子ちゃん......。

呆然としてしまった。関西から東北に移動するのに、いったいどれぐらいの

時間がかかるというのだろう。塩釜と突然言われても、イメージがまったく

湧いてこない。  え、塩釜って、たしか宮城県でしょ? この人いま、

釜石って言ってた?  そのうえ、週末には2日連続で大阪の書店での

トークイベントが控えていた。翌日早朝に自宅のある滋賀県から塩釜市

向かったとしても、2日後の金曜日には戻ってこなければならない。  

塩釜市で遺体を引き取り、火葬し、隣の多賀城市にあるアパートを引き払う

なんて大仕事が、たった2日でできるはずもない。  混乱しながらも、

必死に訴えた。 「実は今週末に大事な仕事がありまして、すぐには

行けないのです」と言いながら、実の兄が死んだというのに仕事で

行けないっていうのも変な話だよなと思った。しかし同時に、

もう死んでしまっているのに今から急いでもどうにもならないと考えた。

塩釜署の山下さんは、「突然のお話ですから当然だとは思います。それで、

いちばん早くてどれぐらいで塩釜までお越し頂けます?」と答えた。

頭のなかでスケジュールをざっと確認した。 子どもたちの学習塾の予定、

原稿の締め切り、家事、犬、そして何より書店でのイベントだ。

「いちばん早くて来週の火曜日、5日です」 「それでは5日まで塩釜署にて

ご遺体はお預かりします。ご自宅でお亡くなりになったということで、

死体検案書という書類をお医者様に作成して頂いています。この書類は、

お兄様の戸籍抹消と、埋葬や火葬のために必要な書類です。この作成費用が

5万円から20万円かかります。先生によってお値段が違いまして......

いずれにせよ、ご遺体の引き渡しの際にこちらのお金がかかって参りますので、少し多めにご準備頂ければと思います」  死体検案書という言葉も初めて

聞いたが、その値段が医師によってそんなにも幅があるとは驚いた。

混乱しながらも、頭のなかではすでに金策がはじまっていた。じわじわと

不安が広がるのがわかった。自分にとってはかなりの金額を短期間で

用意する必要があることに気づいたからだった。 「それでは塩釜署で

お待ちしております」と言いつつ、電話を切りそうになっている山下さんに

慌てて質問した。 「兄の息子なんですが、今どうしているんですか?」

「息子さんは児童相談所が保護しています。明日以降、児童相談所からも

連絡が行くと思いますのでよろしくお願いします」  そして山下さんが

急に思い出した様子で、今度は私にこう聞いた。 「あ、こちらの葬儀屋さんとかご存じです?」

 依存し合っていた、母と兄

                     

 兄は、母が膵臓(すいぞう)がんだとわかった直後に、私たちの

生まれ故郷から宮城県多賀城市への転居を決めた。7年前のことだ。

これにはさすがに驚いた。何せ兄と母は、まるで運命共同体のように常に

近くで暮らしながら、互いに精神的に、金銭的に、依存し合って

生きてきたからだ。  父の死後、母は何でも兄の言う通りにした。

たとえば、それまで40年以上経営してきたジャズ喫茶を改装してスナックに

すればいいという兄の突然のひらめきに従い、母は大金をかけて店を改装し、

若い女性を何人か雇い入れた。私からすれば、それまで長い年月をかけて

築き上げてきた私たち家族の思い出を、父が愛した場所を、一瞬にして

消されたほどの衝撃だった。  スナックの経営は間もなく破綻したが、

その後も母は兄を盲信し続けた。同時に、さまざまな形で兄を援助していた。

元妻の加奈子ちゃんと離婚してからは特に、母の住む実家に立ち寄っては

金の無心をすると母から聞かされていた。母が遺した日記にも、その苦悩は

綿々と綴られている。 それなのに、母に残された時間がそう長くないと

わかった直後に転居を決めるとは、母を捨てるも同然のことと私には

思えた。 母はよく、「あなたは冷たい人だけれど、兄ちゃんは優しい子だから」と

言っていた。 そして、「兄ちゃんには寂しい思いをさせたから、

わがままになっちゃったのよ」と、言いわけのように付け加えた。

寂しい思いをさせた理由は、ずいぶんあとになってから母に聞いた。

私が子どもの頃病弱で、入退院をくり返していたために、兄は親戚に

預けられることが多かったらしい。兄はどんどん寂しがり屋になり、

いつも泣いていたそうだ。 本当にすべて私のせいだったのだろうか。

私が病弱だったから、兄は今のような人間になったとでも言うのか? 

私は疑問に思い、母に反発した。すると母は必ず、このセリフで私の言葉を

封じ込めた。「あんたは何も知らないだけ」  兄は確かに優しいところも

ある人だった。  動物が好きで、子ども好きで、涙もろい人だった。

しかし、次々とペットを飼っては、ろくに世話もせず、あっという間に

死なす人でもあった。涙もろさは、欺瞞(ぎまん)であり、まやかしだった。

噓ばかりつく人だった。  乱暴で、人の気持ちが理解できない勝手な男。  

母が兄をどう庇(かば)おうとも、私からすれば、そんな兄だった。

母の葬儀で「お前、いくら稼いだんだよ」金の無心、家賃の滞納…

「ついに私がターゲットに」 兄(54)に妹が恐怖を覚えた瞬間 へ

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【おれおれに 暗号を決めた 爺と孫(シルバー川柳)】