和子の生い立ち-125〜東芝磯子工場へ〜

2人の子供も小学生に成り誠は高学年で4年生の時から団地の少年野球に
入部し、学校から帰ると野球の練習に・・・浩ちゃんはオバサンちの
のりちゃんと遊び、和子も東芝に再就職し朝9.00から4.00まで・・・
今度は土日は休みだし暮れも夏休みも長期休暇が有り万々歳でした。
でも〜仕事は電気部品の挿入で流れ作業、一台のコンベアに120台の
ラジカセの基盤が流れ、30人位が一組で1人8本から12本の部品を
挿入する。其れはそれは大変なお仕事でした。一寸頭が痒くっても掻く
暇も無い?汗が落ちて来ても拭く暇も無い、其れは大変忙しい仕事でした。
一つの班に主任(男性)が一人、3人の女性のリーダーで構成され
福光和子さんと言うリーダーが、挿入部所の割り振りをして工程を
組むのですが、何時も和子は福光さんにはじき出されて中々挿入には
入れて呉れませんでした。負けず嫌いな和子ははじき出される福光さんに
対し、微塵も良い印象は持ちませんでした。
他のリーダーの森野さん、西岡さんは和子の事を取っても大事にして呉れて
素晴らしい、お姉さんでした。