92歳現役看護師 難病でお風呂に入れない?

       

《和子は又々こんな記事を見た~》

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9歳の女の子の全身を拭いてあげたら意外な反応が・・・

幼い人生を閉じた彼女から学んだこと

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厚生労働省によると、日本人の平均寿命は男性81.41歳、

女性87.45歳(2019年)。一方、日常生活を健やかにおくれる

健康寿命」は、男性72.68歳、女性75.38歳と、そこには10年近くの

差異があるのです。寿命を迎えるまで、なるべく自分の力で元気でいたい・・・

そんな健康長寿を実践しているのが、92歳で現役の看護師の

川嶋みどりさんです。看護の世界で75年の彼女にとって今も忘れられない

患者さんとは?

◆背中には紫色の大きな腫瘍・・・脊髄腫瘍の9歳の少女

食べる、眠る、働く(動く)、排泄・排尿をきちんとする、体や住環境を

清潔に保つ・・・こうした日々の営みを気持ちよく行えるかどうかで、

自律神経の働き方は、大きく違ってくるのです。 すなわちそれは、

生命の輝きや治る力にもつながるのですが、私が看護師になりたての頃、

それを実感する出来事がありました。9歳の女の子、トシエちゃんの話を

紹介させていただきます。

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 トシエちゃんは、よその病院から転院してきました。顔は土気色で、

痩せてガリガリ。顔をしかめながら「痛いよ」「だるいよー」と小さな

うめき声を発しています。彼女の病気は脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)。

背中の真ん中に紫色の大きな腫瘍があり、つぶれかかったそのコブからは、

悪臭のある膿汁(のうじゅう)がしみだしています。

 当時、看護師になったばかりの私にできることは、毛布の中に手を入れて、

細い足をさすることくらいでした。ところが、触れた肌の感じは、

ざらざらしていて、まるで鱗(うろこ)のようです。よく見ると垢が何層にも

重なっています。 トシエちゃんは、長いことお風呂に入っていないのです。

私は、全身を拭(ふ)いてあげようと思いました。でも、手首の脈に触れると、

今にも途切れるくらいに弱く、リズムも不確かです。全身を拭けば体に

負担がかかり、症状が急変する恐れもあります。そこで、時間をかけて

やることにしました。

                         

◆全身の垢が落ちた少女はまるで別人のようだった 1日目は足浴です。

桶に足を浸して優しく洗うと、両手ですくえるほどの垢が出ました。

 2日目は膝から下、3日目は太もも、というように、1週間ほどかけて

全身をきれいにしました。全身の垢が落ちたトシエちゃんは、まるで

別人のようでした。 表情にも変化が現れます。うっすらとしたピンク色の

頬で、微笑むようになりました。乱れていた脈拍のリズムも、少しずつ

確かになっています。そして、うめき声ばかりだったトシエちゃんが、

話しかけてくれたのです。 「看護婦さん、おなかがすいた」 私はうれしくて、

言葉が出ませんでした。それからは、隣のベッドの友だちとも、

おしゃべりするようになりました。 しかし3か月後、トシエちゃんは

幼い人生を閉じます。

看護師になって、初めてのことでした。とてもショックでしたが、このような

思いに至ったのです。「わずか3か月だけど、トシエちゃんは少女らしい

日々を過ごせた」と。 あのまま何もしなければ、もっと早く寿命が

尽きていたかもしれません。きっと笑顔になることはなく、

うめき声をあげ続けていたことと思います。 体をきれいにしたことで、

トシエちゃんの生命が輝いたのだと確信しました。生きる力が湧き出て

きたのです。この体験は、私の看護の原点になりました。 そして10年後、

ナイチンゲールの『看護覚え書』という本が翻訳・出版され、私は次の

言葉に出会います。 「安らぎとか安楽というものは、それまでその人の

生命力を圧迫したものが取り除かれて生命が再び生き生きと動き出した兆候」

ああ、あのときのトシエちゃんが、まさにそうなのだ。私がしてきた看護は

間違っていなかったのだと、ナイチンゲールに認めてもらった気がしたのです。

     

◆最後まで食べる。亡き親友が教えてくれたこと 冨沢みえさん。

私の大切な友人で看護師でした。胃がんの末期で入院中の彼女も最後まで、

口から食べる努力をしていました。 「点滴だけじゃ力にならないのよ。

だから、何としても自分の口で食べるの」 みえさんは、いよいよ食べ物が

のどを通らなくなってもコップ1杯の牛乳を2時間かけて飲んでいました。

「噛んでると自然に入っていくのよ」と。 そして、死の間際のことです。

みえさんから「おすしを買ってきて」と頼まれました。

「食べられっこないよ」と私が言うと「いいから早く。特上よ。ワサビは

抜いてもらってね」と譲りません。言われたとおり買ってくると、

彼女は紙皿を胸におき「ここに一つ載せてちょうだい。おすしのネタは取ってね」と

言います。特上なのにネタは食べないのです。 みえさんは、ご飯を一粒

指でつまみ、口の中に入れます。目を閉じて15分ほど。

「今、何してたかわかる?」 「ご飯粒を噛んでたんでしょ」

「そう。噛んでると、飲み込んだ感じはないのだけど、なくなるのよ」

 そんな会話をして、みえさんはご飯を一粒つまんでは、口に入れるのです。

「今の一粒はね、夫のために噛んでたのよ。……次の一粒は昌夫のため。

次の一粒は厚子のため……」 みえさんは、家族を思いながら、祈りながら

噛んでいるのです。2時間ほど経ったでしょうか。「ごちそうさま」と彼女は

言い、私は病室を後にしました。 その晩、彼女の意識はなくなりました。

そして数日後、息を引き取ったのです。 みえさんは最期の瞬間まで

「看護って何だろう。看護師って何をする人だろう?」と問い続けて

いたのだと思います。おそらく、彼女が理想にしていた看護と、実際に受けた

看護にズレがあったからです。医療側から見れば、彼女の命は絶望的でした。

それが患者のみえさんに伝わってしまうのです。 でも、みえさんは

最後まであきらめず、社会復帰を目指していました。「点滴だけでは

生命を維持できても、生活に必要な力にはならないの」と言い、

必死に口から食べたのです。これが彼女の生命力の源泉だったことは、

間違いありません。「生きていくこと」へのすさまじい意欲を親友から

見せられた私は「看護に何ができるのか?」と、今なお問い続けています。

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【忘れえぬ 人はいるけど 名をわすれ(シルバー川柳)】