お医者さんの誤診・・・

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前日の朝の新幹線に乗って田舎に帰り、母の入院する病院に行き

「このお部屋に入院された患者さんは皆さん、此処でお亡くなりに成ります」と

言われ、病室の表札には赤い紙に「OOOO様」と書かれ、仏様専用の

エレベーターの付いたお部屋に入院し、今までと違う母を見て

「このまま、静かに息を引き取るのかな?」って思いながらも・・・ 

先生から・・・「お母様は胃癌を患い、腹膜を併発してるから80歳のご高齢で

手術をしても確率は低いし・・・兄妹で良く相談して下さい」と言われ、

昨晩は実家で夜中まで色々話し合いましたが、結局結論は出ず、

跡継ぎの兄やんの意見で、兄やんの盲腸でお世話に成った個人病院に雨の降る中を、

相談に行きましたが、此れと言った回答もなく、唯、兄やんが納得しただけでした。

病院の先生は兄妹の結論を待ち、急かされて・・・其れでも兄やんは結論が出ず

「後、一時間待って下さい・・・」とお願いをして兄妹5人で待合室で頭を

抱えて居ると・・・ず~~~と母の傍でお世話して呉れて居た姉さん(兄嫁)が

待合室に来て「お婆さん、お通じが出た・・・・」と・・・大量の真っ黒いうんちが

出たら、母の顔色も良くなって・・・

 

原因は、母が何時もの腹痛を起こす前に瓶糊が好きで良く、食べて居たとか?

その瓶糊が糞詰まりを起こし・・・胃癌でも腹膜でも無くその後はすっかり

元気に成って、病院のナースの方の「OOさん(母)この部屋から

元気に退院して行くのは貴女だけです」と言われたとか?

 

結果的にお医者さんの誤診で母は一命を取り留めて無事に仏様専用の

お部屋から退院してから7年、87歳で老衰で天国へ・・・― 合唱 ―

 

【目には蚊を 耳には蝉を 飼っている(シルバー川柳)】

兄妹会議・・・

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母の病院から自宅に帰るとあにやんは葬式の準備だとか言ってお庭の

草むしりをして居ました。兄やんは長男で「横に倒れた杖も起こさない」と

言う程、何もしない兄やんだけど・・・「おかさん(母)が死なるとたちまち

葬式を出さないと・・・」と言って、シトシトと雨の降る中で草むしりを・・・

 

夜に成って兄妹会議が・・・

5人の兄妹が5人とも一日でも母に長生きして貰いたいと言う気持ちは変わらず・・・

このまま手術をしないで命の有る限り・・・?

万が一手術をして1日でも長生きするのなら手術をするか???

手術をしたお陰で手術に耐えられなくて、そのまま亡くなる事も?

このまま手術しないで命ある限り・・・を選んでも~

「あの時に手術をして、貰えば未だ命有ったかも???」と

後悔するのも嫌だし・・・散々5人で悩みましたが結果は出ず・・・兄やんが・・・

「俺の判断に任せて貰え無いだろうか?」と言い出し・・・やっぱり兄やんは

跡取だし・・・「では~兄やんに任せよう~」と言う結論に成った・・・

 

兄妹5人の中で難病を患い手術を受けた経験の有るのは、和子と兄やんの盲腸だけで

後の3人は手術の経験は有りませんでした。

兄やんの決断とは、自分で盲腸を手術して下さった先生を深く信頼し・・・

その病院に聞きに行くと言う・・・手術の経験の無い者の浅はかな決断

和子は「幾ら兄やんが、盲腸の手術をして助けて貰った先生でも・・・

その様な病院に聞きに行って何も分からない先生が、決断を下して呉れるだろうか?

今のおかちゃん(母)のカルテを借りて行って聞けば、答えは出るかも知れない

けど・・・今のおかちゃん(母)のカルテを病院は絶対に貸して呉れないし・・・

パパの盲腸の時は腹膜を手術して完全に治してから盲腸の手術をしたから

おかちゃんも、若しかしたら2度手術をする事に成るかも???

 

そんな事を考えただけでも80歳の高齢では???と悩むしか無かった~

其れでも兄やんは「盲腸の手術をして助けて貰った先生の所に聞きに行く」と・・・

結局、雨の降り仕切る中を兄ちゃんと兄やんと和子と3人で・・・

 

【「いらっしゃい」 孫を迎えて 去る諭吉(シルバー川柳)】

この病室は仏様専用の病室だって???

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 母が80歳だったと思う・・・

兄ちゃんから電話が有って「おかさん(母)が病院に入院して居るから

帰って来い」と言う電話でした。母は30代の頃から腹痛の持病を持ってて

一年に1~2回、腹痛を起こして「痛い・痛い・・・」と部屋中、

のたうち廻ったり~して「死にたい・・・」って苦しい時は良く言ってました。

和子も30代の時に胆石で苦しんだ時は「この世に未練は無く死にたい」と

思った事も・・・今、思えば母の腹痛は胆石じゃ無かっただろうか?って思います。

 

兄ちゃんから「おかさん(母)が病院に入院して居るから帰って来い」と言う

電話を貰い、田舎に帰り、母の入院する病院に行くと階上のナースセンターの

前の個室に母のお部屋が・・・部屋の前の名札を見ると

「表札に赤い紙にOOOO様」と母の名前が???

お部屋に入ると、何時も、のたうち廻り騒がしい母が大人しく何も言わない?
「おかちゃん、かーこが帰って来たよ~」と言っても「うん」と

うなずくだけで何も話さない?

兄ちゃんに聞くと「この病室は仏様専用の病室で此処に霊安室に続くエレベーターが

付いて居て、この部屋から元気に成って退院した患者さんは一人も居ないんだって?」

と兄ちゃんは言う・・・その時、和子は(この母はこのまま静かに息を引き取るのか

な???)何て思ったけど・・・母との別れが悲しい・・・と言う思いは

その時は微塵も感じませんでした。

 

この病室に母は入院して先生の診断結果は・・・

「胃癌が出来てて腹膜を併発して居ますが、80歳のご高齢で手術をしないと

助かる見込みは有りませんが、万が一手術をしても、その手術に耐えられるか

保証は出来ません。御兄弟で良く相談して決めて下さい」と・・・

                

【未練ない 言うが地震で 先に逃げ(シルバー川柳)】

和子はおとなに成った~~~(笑)

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小学2年生の秋から、和子は兄やん夫婦と同居生活を始めて以来

ドケチの姉さんに「学用品を買うから10円頂戴」と言っても

聞いて聞かぬ振りをして素直に「ハイヨ~」と言って貰った事もなく

中学に行くようになって兄やんに「一月に三百円で良いからお小遣いが欲しい」と

お願いをしても「お前は無駄にお菓子を買って食べてしまうからやらん(上げない)と言われて僅か10円のお金も満足に貰えない、こんな家、

早く出て稼ぎたいと言う一念で高校にも進学せず、会社の社員寮に入って、

和子は自由にお金が使える様に成りましたが、姉さん(兄嫁)の憎しみは、

結婚して東京に来て横浜に住み始めても消えませんでした。でも~    

 

有る時フト「子を持って親の恩を知る」と言う言葉が和子の脳裏を霞め・・・

勿論、幼い時から難病を患い、何度も入退院を繰り返し、

開発されたばかりの新薬のペニシリンを両腿に凧が出来る程打って貰らいながらも

障害者に成らず五体満足に人生を送って来れたのは両親・兄姉のお蔭と

感謝して居ますが・・・

 

「子を持って親の恩を知る」と言う言葉が和子の脳裏を霞めた時に・・・

姉さん(兄嫁)も26~7歳の若さで両親に子姑さんが4人も居る家に

お嫁に来て、未だ小学2年生の和子を子姑さんには変わりないけど、

子姑さん扱いにして欲しいと望むのは無理、兄やんは、

姉さんに日頃の生活費を幾ら預けて居たのか知りませんが、

女系家族で百姓で倹しい生活をして来た姉さんは10円のお金も

出したく無かったのかなぁ?と思ったり・・・

 

又「老後は兄やん夫婦に世話に成る」と分かって居ても未だ々幼い和子が

居るのに、自分の老後ばかり考えて、末娘の和子を振り向いて呉れない

薄情な母と思った時に「継子苛めをする姉さん」じゃ無く実母だったら・・・

社会に出すまでは我が身ばかり可愛がらず、我が子を見守って遣るのが

親の責任じゃ無かったのか?と思い、散々憎み続けた姉さんに申し訳なく、

反面和子は姉さんに虐められたお蔭でおとなにして貰った~と

感謝する様に成りました。其れからは取っても仲の良い兄嫁と子姑さんに成りました。

  姉さん、(人’’▽`)ありがとう☆~

 

【未練ない 言うが地震で 先に逃げ(シルバー川柳)】

 

憧れの大都会・東京へ・・・

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縁有って従兄妹の紹介で夫とお見合いをして「東京に行く」と言った時は

世間様は愚か、両親・兄姉までもが「恐らく世間を知らないかーこが

東京がどんな所とも知らずに唯、都会に憧れて『東京へ行く』と言ってるけど~

絶対に直ぐに出戻りで帰って来る」と思って居たでしょうね?又姉やん(長女)は

父に「和子一人位離縁されても仕方が無いから覚悟して置いた方が???」と

言って居たとか?   頑固な父は、和子には「頼むから東京へ

行かないで呉れ・・・」と弱音は吐かなかったけど~姉や兄の家に行っては

「和子に『東京に行くな~』と言って呉れ~」と散々言って居たそうですが、

都会に憧れた和子は聞き耳を持たず東京へ・・・

 

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従兄妹の紹介で横浜に6畳一間のアパートを借りて新生活を始めましたが

微塵も後悔は有りませんでした。優しい夫の元で幸せな新生活でした。

やっぱり「継子苛めをする姉さんの居る実家には2度と帰る物か?」と

心に決めて、実家を後にしましたが、新婚当初は夏休み・お正月は

新幹線に乗って田舎に帰るのが楽しみでした。

 

結婚して4年程して夫のお兄さん(37歳)が幼い子供を一人残して突然肝硬変で

亡くなった時は・・・人の命の儚さを知り・・・和子は2人の子供を抱えて

義理姉さんの様に未亡人に成ったらどうするだろう?って考えた時、

いざその現実を目の当たりにしても姉さんの居る実家には帰らない。

と言っても、未だ々横浜に住み着いて4年、見ず知らずの土地で2人の子供を持って

未亡人に成ったらやっぱり、両親や兄姉の居る田舎に・・・其れでも和子は当座は

実家にお世話に成っても、兄ちゃんに彦根にでもアパートを借りて貰って

子供を鍵っ子にしてでも実家に居候には成らない・・・と

 

【お迎えは どこから来るのと 孫が聞く(シルバー川柳)】

思い出ばなし・姉さん(兄嫁)・・・-2

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小学2年生の秋に兄やんが結婚して姉さんと同居生活を始めてから

年老いた両親は「老後は兄やん夫婦に世話に成らんならんから・・・」と

姉さんを大事にして、未だ々幼い和子の事はお預けで・・・母に

「姉さんこんな事、言った」とか言って愚痴を零すと・・・母は何時も

「かーこには立派な姉ちゃんや兄ちゃんが居るけど・・・みんな結婚したら

他人さんに成ってしまう~かーこの泣いて帰って来るのは

兄やんの家だけだから・・・姉さんの悪口を言っちゃダメだよ~」と言って

絶対に和子の味方はして呉れなかった~

(幼いながらにも・・・こんな家、早く出てお金を稼ぎたい・・・)と・・・

 

姉さんがお嫁に来るまでは、和子は末っ子の甘えん坊で、自分の思うように

ならないと何時も泣いてばかり・・・母の姿が見えないと泣いてばかり・・・

世間様は愚か、両親・兄姉までもが「こんな家、早く出てお金を稼ぎたい・・・」

と思って居るとは知らなかったでしょうね?((^▽^笑) )

 

   【これ大事 あれも大事と ゴミの部屋(シルバー川柳)】 

思い出ばなし・姉さん(兄嫁)・・・-1

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20歳も年の離れた兄やんの嫁さんは、当時26歳位で4人の子姑さんと両親の居る家に

お嫁に来て、姉やんは、会社の寮に入って居ませんでしたが、7人家族の家に

お嫁に来て小学2年生の和子は未だ々子供でした。

 

姉さんには、お姉さんが2人・お兄さんが2人で長男は和子と同じ歳の女の子を

残して戦死され、兄姉は其々に所帯を持って、母と兄嫁と姪っ子の3人暮らしで

百姓で生計を立てて居て、お母様が孫の面倒を見ながら三度の食事をし、

姉さんは兄嫁と2人でお百姓仕事をし、殆ど家事の事はせず、

主婦業一年生だった様です。

 

小学2年生だった和子には家計のやりくりは、どの様に遣って居たか全然

知る由も有りません。又兄やんと結婚して主婦業一年生だった姉さんは

家の中を整理・整頓すると言う事も無く、だらしない人でした。

尤も和子の母も決して几帳面な人では無かったので・・・

今思えば、他人様が見えると恥ずかしい位、散らかった家でした。

 

恐らく家計のやりくりは兄やんがして、日常の生活費は少しづつ姉さんに

渡して居たのでは?

女系家族で、社会に出てお給料を頂いた経験のない姉さんは小学2年生の和子に

言わせれば、ケチのケチのドケチでした。何せ、「自分の実家に帰って・・・

嫁ぎ先のわが家に帰って来るのに5円のお金が勿体ないから隣りのバス停で降りて

歩いて帰って来る」と聞いた事が・・・そんな兄嫁だから・・・決して悪気が有って・和子が「上履きの藁ぞうりを買うから10円欲しい」と言っても

気持ち良く「ハイヨ~」と言って呉れる姉さんでは無かったのだと思いますが、

幼い和子は、実の両親が居て、立派な兄姉が居るにも関わらず「継子苛め」を

されて居る様にしか受け取れなかったです。

 

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未だ兄ちゃんも結婚せずに実家で同居し、父と親子で山で炭焼きをして居た当時

「俵を編んだら一枚10円遣る」と言って和子にバイトをさせて呉れて

100円稼いで大喜びをして居た当時、村の子供会で彦根松原水泳場に行く事に成り

姉さんに「松原に泳ぎに行くからお小遣い頂戴」と言うと

「この間、兄ちゃんに俵を編んでお金貰ったでしょう?其れで行きなさい」と

言って折角兄ちゃんに貰ったお金迄・・・この姉さんを「継子苛めと同然」とは

誰も思わないかなぁ?  和子は学校を卒業するまで・・・

卒業しても姉さんの苛めは脳裏に焼き付き離れませんでした。

 

【まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ(シルバー川柳)】