ちょっと必死すぎたかな・・・

  

《和子は又々こんな記事を見た~》

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   怪我をした愛犬を無理矢理“障害物競争”に

出場させようとした妻が夫に言われて気づいた!?

  

レオの存在を軽んじていた

   

「本当に、それでいいの?」

大祐の言葉が、初美の心の奥にずしんと響いた。小さな体を包むゼッケンが、

急に重たく見える。痛めた足をかばいながら、それでも初美の顔を見て

尻尾を振るレオ。 彼の中にあるのは、勝ちたいという意志ではなく、

初美を喜ばせたい、その一心のような気がした。 「……レオ、ごめんね」

初美はそっとゼッケンを外し、タオルにくるんだ保冷剤を足元に当てる。

あれだけ熱心に練習してきた日々が、一気に色褪せていくようだった。

だが、悔しさはない。それよりも、胸に広がったのは深い反省と、

羞恥の念だった。自分の欲に囚われて、レオの存在を軽んじていたことに

気づいたのだ。 「初美、行こう」

大祐が肩に手を置き、声をかけてくる。初美はうなずき、レオをそっと

抱き上げた。ふわふわの毛並みが頬に当たり、体温が初美の腕に染みてくる。

運営に棄権を伝えて会場を後にし、車に乗り込むと、

ようやく張り詰めていた気持ちがゆるんだ。

「……わたし、あの子を、勝たせたくて必死だった。でも、本当は、

自分が褒められたかっただけなんだよね。

誰かに認めてほしかったんだと思う。レオを通して」

助手席からぽつりと漏らすと、大祐は初美のほうをちらりと見て言った。

「それでもいいと思うよ。初美が頑張ってたのは事実だし、ちゃんとレオも

それを分かってた……ただ、レオ的には初美に笑っててほしかった

だけなんじゃないかな」 初美は目を伏せて、小さく息を吐いた。

「あんまり笑って、なかったよね、私……」

「まあ、ちょっと、必死すぎたかな。でも、気づけてよかったじゃん」

「うん……そうだよね」

振り返ると、後部座席のキャリーの中で、レオは丸くなっていた。

普段と比べると、少し不自然に見えるその体勢を見て心がちくりと痛む。

「痛かったよね……無理させようとしたよね……」

自責の念がじわじわと広がっていく中、それでも初美は先ほどよりも

穏やかな気持ちでレオを見つめることができていた。 

止めてくれてよかった

   

レオの診察結果は、思っていたよりずっと軽いものだった。

診断は軽度の打撲で、数日安静にしていれば元通りになるという。

帰宅後、レオはいつもの毛布の上で静かに丸くなり、すぅすぅと寝息を

立て始めた。小さな体が上下に揺れるたびに、初美は何度もその無事を

確かめるように目をやった。 「初美も休みなよ」

キッチンから戻ってきた大祐が、コーヒーをふたつ持ってきて、

初美の隣に腰を下ろした。窓の外はすっかり暮れている。

「レオ、大事なくて良かったね」

大祐がカップを口に運びながら、レオの方を見てつぶやいた。

「うん……もしもあのまま出場させてたらと思うとゾッとする。

大祐が止めてくれて本当に良かった。ありがと」 「どういたしまして」

初美はカップを両手で包みながら、小さく自嘲気味に笑った。

「私、熱くなって周りが見えなくなってた。勝つこと、賞金、誰かに

認められること……たぶん、自分に価値があるって、

そうやって確かめたかったんだと思う。本当はあの子がいてくれるだけで

良かったはずなのに」大祐は初美の言葉を否定も肯定もせず、

ただ黙って聞いていた。その沈黙が、初美には心地よかった。

「でも今日、レオの目を見たとき、はっとしたの。あの子、何も

求めてなかったんだよね。ただ、私と走るのが嬉しくて、楽しくて、

それだけだった」 「初美にとっても、そうだったんじゃない?

たしかに大会で勝ったときも嬉しかったけどさ。それより俺には、

レオと一緒に走ってるときの初美が一番楽しそうに見えたよ」

初美はその言葉に、静かにうなずいた。

思い返せば、大会で入賞したときよりも、賞金を手にしたときよりも、

夕暮れの公園で、ただレオと追いかけっこをしていた時間の方が、

ずっと心があたたかかった。

足元で眠るレオに、そっと手を伸ばす。柔らかな毛並みに触れた瞬間、

小さく尻尾が揺れた。「……ありがとう、レオ。ほんとに、ありがとう」

言葉にすると、胸の奥からじんわりと熱いものがこみ上げてきた。

「これからは、無理のないペースで走る。競技を続けるとしても、順位とか

周りの評価のためじゃなく、レオと一緒に楽しむためにする」

大祐が、そっと初美の手に自分の手を重ねた。

「それが一番だと思うよ。たまには俺も一緒に走るし」

「大祐が走るのは、珍しいけどね」

初美はふっと笑うと、つられて大祐も笑った。

笑い声が混じるその穏やかな時間が、たまらなく愛おしかった。

ふと、レオが小さくくしゃみをした。その音に、2人して思わず顔を見合わせる。

行こうか

            

レオの足は、すっかり元どおりになった。

かかりつけの獣医さんも「もう心配いらないですよ」と

にこやかに言ってくれて、初美は思わずホッと胸を撫で下ろした。

朝、レオがリビングのカーテンを鼻先でめくって日差しに目を細める様子を

見ながら、初美はコーヒーを淹れた。

大祐が起きてきたのは、それから少ししてから。寝癖を手ぐしで整えながら、

「公園、行く?」と、初美が尋ねるより先に聞いてくる。「公園」という

言葉に反応したレオも嬉しそうに尻尾を揺らした。

「行こうか、レオ」 初美は首輪を手に取って、そう声をかけた。

外は、少し冷たい風が吹いていたが、空は澄み渡っていた。近所の公園の

並木道を歩きながら、レオはひとつひとつの電柱を丁寧にチェックして、

大祐と初美はその姿を見ては小さく笑った。

「最近さ、俺たち、こうして一緒に散歩する時間、増えたよな」

「うん、なんだか家族らしい時間って気がする」

初美が言うと、大祐は「そうだな」と頷いて、レオのリードを少し緩めた。

レオはその隙に芝生へ飛び出していく。

「ねえ、大祐。大会、また出たいって思う日が来るかな」

「出たければ出ればいい。でも、無理する必要はない。レオも、初美も」

大祐のその言葉に、初美は「うん」とうなずいた。

大会のために走るのではなく、楽しいから走る。 それだけで十分だ。

いつの間にかこちらへ戻ってきたレオが「遊ぼうよ」と誘うように

再び芝の上を駆け出し、大祐はそれを追いかけていく。しばらく彼らの姿を

眺めていた初美は、風を全身に受けて深呼吸をしたあと、ゆっくりと走り出した。

                                                                                      ♾️♾️♾️ おわり ♾️♾️♾️

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【孫の声 二人受話器に 頬を寄せ(シルバー川柳)】