厳格だった父がまさかの万引き・・・!?

  

《和子は又々こんな記事を見た~》

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老父を追い詰めたものの正体とは

  

オフィスは空調が効きすぎていて、ストッキングに包まれた爪先が冷たい。

惟子は整理していた書類から顔を上げ、机の上で震えるスマートフォン

目をやった。見知らぬ電話番号だったので、一瞬出るべきか迷ったが、

惟子は不審に思いつつ、そっと通話ボタンを押した。

「……もしもし」

惟子が応じると、電話口の声は地元にあるスーパーの店長だと名乗った。

「お父様の有川雄志さんがですね……申し上げにくいのですが、

店の商品を……レジを通さずに……お持ち帰りになろうとして……」

彼は言葉を濁していたが、容易に理解できる。要するに万引きだ。

声が裏返りそうになるのに堪えながら、努めて冷静に切りかえす。

「何かの間違いじゃないですか。父はそういう人間では……」

「実は……今回だけでなく、何度か似たようなことがありまして……

防犯カメラでも確認しております」    「え……」

惟子は二の句を継げなかった。

信じられない

   

たしかに独居老人や認知症を患った人が、スーパーなどで万引きを

くり返してしまうことがあるということは惟子も知っている。

ワイドショーなどでもよく取り上げられていることを鑑みるに、

そこまで珍しいことでもないのだろうとも思う。

しかし父は絵に描いたように厳格な人だった。母が他界してから父はずっと

独りで暮らしているが、とはいえあの父が万引きをするなんてことが

信じられるはずがない。 「うちとしましても、別に大事にしたいわけでは

ないんですが、少なくない被害も出ていますし、その、

迎えに来ていただくことはできますか?」

随分と回りくどい言い方だったが、要は惟子が来ないつもりなら大事――

警察にでも通報するということだろう。「わかりました。今から向かいます」

電話を切ってすぐ、上司に「体調不良で早退する」と告げ、ノートパソコンと

資料を整理してバッグに押し込んだ。足早にオフィスを出て駅に向かうと、

タイミングよく電車がホームに入ってきた。

地元までは1時間もかからない距離だが、帰るのは随分久しぶりのことだった。

「無駄遣いをするな」というのが父の口癖だった。

別に貧しかったわけではない。父はごく一般的なサラリーマンだった。

だが父はとにかく浪費を嫌った。冷暖房は我慢が当たり前。買い物は特売品。

外食なんて覚えている限りしたことがない。母が来客用に選んだ少し高めの

菓子に顔をしかめ、惟子が誕生日に祖父母から買ってもらった

文房具セットを「贅沢すぎる」と棚の奥にしまい込んだ。

今でも忘れられないのは、小学生のときの父の日のことだ。

貯めていたお年玉を使って、惟子はネクタイピンを買った。手紙を添えて、

勇気を出して父に差し出した。しかし、父は一瞥しただけで

「こんなものに金を使うな」とだけ言って、受け取ろうともしなかった。

「惟子がいくつも店を回って選んだんだって」

母が気を利かせてフォローしてくれたが、父はにべもなく言い捨てた。

「そんな暇があるなら勉強しろ」

その後のことを、惟子はあまり覚えていない。

自分が泣いたのか、それとも怒ったのか。受け取られることのなかった

プレゼントの行方さえわからない。ただ、あの日を境に、父に何かを

期待するのをやめたことだけは確かだ。

ふと顔を上げると、車窓の景色が少しずつ郊外の風景に

変わっていくのが見えた。

弱々しい父の姿

スーパーの事務所に通されたとき、惟子は言葉を失った。

そこにいたのは、かつて惟子を叱りつけていた父ではなかったからだ。

机に向かって所在なげに座るその背中は、すっかり小さくなり、

よれた半袖シャツから伸びる

腕は、痛々しいほどに骨ばっている。

「……お父さん」

ゆっくりと顔を上げた父は、黙ったまま惟子から視線をそらした。

その表情からは何の感情も読み取れず、ただただ虚ろな印象だ。

連絡をくれた店長が遠慮がちに説明し始めると、惟子はひたすら

平謝りを繰り返した。

頭を下げるたびに目に入るのは、パック容器に入った惣菜と菓子パン。

父が精算なしに持ち出そうとした商品は、合計でたった数百円だった。

「今回はお咎めなしで……」「ただし、もしまたやるようなことがあれば……」

そんな言葉が頭の上を素通りしていく。惟子は機械的に手続きを終えると、

父を連れて逃げるようにその場を後にした。父は家に着くまでの間、

一言も発さなかった。 タクシーで実家に父を連れ帰った惟子は

玄関の扉を開けるや思わず息を止めた。黴っぽい匂いが鼻をついた。

リビングの床にはダイレクトメールやチラシが散らばり、キッチンには

発泡酒の空き缶が山を作っていた。テーブルの上には、いくつも

弁当の空き箱が乱雑に積まれていた。

「ずいぶん散らかってるね」   「……まあな」

惟子のつぶやきに、父は短く答えたきり黙り込んだ。

ソファに沈んだ猫背のシルエットに、惟子はやるせなさを覚えた。

この家には、かつて母の声が響いていた。惟子が学校から帰ると、

台所に立つ母が、振り向きながら「おかえり」と笑ってくれた。

記憶の残像だけが、荒れた空間の中でやけに鮮やかだった。

父が口にしたのは

ふと、父がぽつりと呟いた。

「……退職して、もう7年になる」

惟子は驚いて父を見る。

確かに父は、60歳で長年勤めた会社を辞めた。

65歳が定年だったらしいから、早期退職ということになる。

「最初は自由でいいと思った。好きなだけ本を読んで、散歩して……でもな」

そこで言葉が途切れた。沈黙の中で、惟子はソファの向かいに腰を下ろす。

「毎日同じ日が続くんだ。寝ても冷めても同じ日の繰り返し。気がついたら……

なんだか、どうでもよくなっていた」

呟くような声。淡々としていたが、紛れもなく初めて耳にする父の本心だった。

「最初はほんの気まぐれだった。ポケットに缶コーヒーを入れたんだ。

レジを通らずに外へ出て……誰にも気づかれなかった……それで……」

惟子は黙って耳を傾けた。叱るべきなのだろうか、問いただすべきなのだろうか。

でも、どちらの気持ちも湧いてこなかった。ただ、孤独の中で

擦り切れていった父の言葉が、痛いほど胸に染みた。

時計を見ると、もうすぐ日が暮れる時刻だった。惟子は立ち上がり、

台所に向かうと、冷蔵庫を開けた。中には安い発泡酒と、中途半端に残った

パックの惣菜が入っているだけ。仕方なく夕食は出前を頼むことにし、

惟子は散らばったゴミを時間の許す限り片付け続けた。

惟子は万引きがきっかけではあるが、久方ぶりに父との時間を過ごすことになる。

二人で酒を酌み交わす中で、惟子は忘れていた家族3人での

日々を思い返す。そして、父が決して捨てることのなかった、

ある思い出の品の存在を知るのだった。   ♾️♾️♾️ つづき ♾️♾️♾️

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【起きたけど 寝るまでとくに 用はなし(シルバー川柳)】