《和子は又々こんな記事を見た~》
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「特養入居決定」。自宅で過ごす最後の日にみせた
笑顔に、58歳ひとり娘が号泣
高齢化が進むなか、切実な問題なのが親の介護問題。特に認知症を
発症していると、目を離したすきに自宅を出てしまい、そのまま行方不明に。
最悪のケースとなることも珍しくありません。家族にのしかかる介護負担に、
どう対処するべきなのでしょうか。
認知症介護の負担と現実
宮崎由美子さん(仮名/旧姓・58歳)は、父親・宮崎勝利さん(82歳)の
介護を数年間にわたり一手に担ってきました。介護のきっかけは認知症。
数年前に発症し、徐々に症状が進行し、日常生活に支障をきたすように
なったため、由美子さんは家族の力を借りながら勝利さんの世話を
続けてきました。
勝利さんが元気だったころ、由美子さんも仕事が忙しく、父親の介護に
あまり関わることがありませんでした。しかし、認知症が進行するにつれ、
父親の状態を見守りながら介護を始めた由美子さん。日常生活のなかで、
父親の変化を感じ、気づけばほぼ実家に寝泊まりするようになっていました。
「食事の支度や薬の管理、日常的なサポートが必要になってきました。
仕事との両立は本当に大変でした」と由美子さんは振り返ります。
原則として介護保険の要介護認定で「要介護3」以上であることが
入所条件ですが、認知症など、要介護1・2の方もやむを得ない事情と
認められれば特例で入所できます。特養への入所は長期間にわたる介護が
必要な場合に適しています。しかし、由美子さんにとっては、それが父親を
「家から出す」ことを意味しており、心情的にはとても辛い決断でした。
「父を家に残しておけないという現実を受け入れるのが、こんなにも
難しいとは思いませんでした」と、由美子さんは当時の心情を語ります。
ただこのとき、認知症の症状はだいぶ進行し、家族でさえ誰かわからないと
いった状況でした。そのようななか、
自宅で介護を続けるのも辛いものがありました。
「お前は誰だ」
「お前など知らん」
「かあさん(すでに亡くなっている勝利さんの妻)を呼んでくれ」
そう言われるたびに胸が張り裂ける気持ちになりました。
自分のためにも、お父さんのためにも(特養入居はよかったのかも
しれない。お父さん、ごめんね、許してね」
入居の日。由美子さんが朝食を準備している間、勝利さんは静かに
リビングに座っていました。いつもより少し穏やかな表情。そしてふいに
「ありがとう」と笑う瞬間がありました。その言葉を聞いた由美子さん。
一瞬ではありましたが、以前の勝利さんを感じることができました。
「本当に、ありがとうと言いたかったのだと思います。少しでも父が
喜んでいるのがわかって、涙がこぼれました」
介護負担は、ひとりだけで解決できる問題ではありません。急速に進行する
高齢化社会に直面しており、介護が必要な高齢者は増加しています。
介護を支えるための社会保障制度は存在するものの、その制度が十分かと
いえば疑問符がつきます。多くの家庭が仕事と介護を両立させるなかで
疲弊しており、より社会で介護を支える体制を築いていくことが
必要不可欠になっています。
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遂に和子の所にも市の福祉保健センターから~~~
3月29日夫と長男夫婦で佐藤病院まで迎えに来て呉れて無事に
退院して我が家に帰って来ました。長男夫婦に花束とお寿司を買って
快気祝いを・・・やっぱり我が家は良いなぁ~
佐藤病院のリハビリの先生から、「未だシルバーカーのお世話に成っても
外を歩くのは心配・入浴も難しいからシャワーだけか訪問介護を受けて
ディーサービスで入浴介助を受けた方が安心」と言われ、自宅に帰った
翌日から地域包括支援センターから看護師さんやケアマネージャーさんが
自宅に見えて沢山のパンフレットを持って来て下さいましたが、和子は
2度目に佐藤病院に転院して、理学療法士の先生に「私は以前と同じ生活が
したい。ウオーキングポールを突いて森林公園を散歩したい」と伝え、それに
伴ったリハビリを進行して頂き、自宅に帰って頑張って見ればベットではなく
布団の上で柱に掴まって起きられるし、入浴も以前と同じ様に入れるし
病院を退院した翌々日の月曜日にはシルバーカーを引いて銀行に行き、
美容院に行って、後暫くすればお買い物にも???
でも~和子も若くは無いからディーサービスのお世話に成ってリハビリの
出来る施設に行ってリハビリをするのも良いかなぁ?
80の声を聞いても未だ々若い積りで以前と同じように森林公園で
ウオーキングポール7,000歩~8,000歩歩きたいけど、無理かな?(笑う)
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