今日は夕飯の前にお茶🍵を運んで来て呉れたヘルパーさんは昨年の12から親元を離れて4人で佐藤病院で働いて居る。和子が昨年の12月25日入院した頃は先輩のヘルパーさんに付いて見習いをして居ました。3ヶ月経って日本語も随分話せる様に成って初めてお話しをしたら24歳とか?
色々お話しをして居る内に昔寮生活をして居たときを思い出し、和子達同級生はこの会社に入社した時は140人でした。その内半分は県内で残りの半分は九州や四国の人達で、九州ベンや四国ベンが飛び交い面白かったです。「ヨカ、ヨカ・とかヨカバッテリ・とか」四国の人は「ゆうちゅうけん課長さんにいゅうちゃった」とか?寮生活の時は良く真似をして大笑い😀😀😀
県外からの社員も多く年に1度ふる里の両親との交流会と言うのかな?昭和35~6年の頃だから今の様なビデオも無いし、録音テープを廻して社員達の両親へのご挨拶を個々に吹き込んで会食の宴の采にご披露して又その後にご両親のお声を吹き込んで社員達に聞かせて挙げる
和子達県内の方は宮荘クラブで両親はご馳走を頂いて終わり
九州や四国の社員達はホームシックで涙する人も居たとか?懐かしい思い出でした。😀😀😀