この世にある美しいものを花に見立てたら
こんな難問に応えるのは、百戦錬磨のトップデザイナー。
そのままでも美しいものを掛け合わせて魅せる、江戸中期を代表する画家、
尾形光琳が描いた燕子花(かきつばた)に見立てたアレンジメントです。
ここからは花屋の店先でオーダーした花の出来上がりを待つような気持ちで
お楽しみください。
尾形光琳の燕子花とは
尾形光琳(1658-1716)は17世紀後半から18世紀初頭に掛けて活躍した
画家で、俵屋宗達、本阿弥光悦を祖とする琳派の中核をなした人物です。
琳派とは、題材を簡略化し大胆に構成するといった、それまでの絵画の
常識にはなかった表現を行った画家*を、近年になってから光琳の名を
冠した「琳派」という呼び名でまとめた流派です。
琳派と並び称される狩野派などとの大きな違いは、狩野派が親族を中心に
形成されているのに対し、琳派は俵屋宗達を光琳が、光琳を酒井抱一が
私淑し画風を受け継いできたことにあります。
数々の名作を残した光琳ですが、中でも『燕子花図(かきつばたず)』
(根津美術館蔵)は群青、群緑、金の3色のみでカキツバタを大胆に
描いた光琳の傑作です。この作品のみならず、
光琳は植物を多く描きましたが、燕子花図の後に『八橋図』
(メトロポリタン美術館蔵)という、続編ともいえる作品を描いています。
そして約100年後、酒井抱一(1761-1829)が光琳の構図を原案にした
『八ッ橋図』(出光美術館蔵)を描くといった、琳派ならではの系譜を辿りました。
見立ての舞台裏
新井が手がける花のデザインは手法こそ欧米のスタイルですが、仕上がった
作品はどこか和の趣が現れます。 100年単位で私淑し、画風を受け継いで
きた琳派のように新井がカキツバタを表現したら…そんな思いを持って
今回のテーマを新井に伝えると、新井からユニークな物語が届きました。
🧿 新井の本棚に並んでいた日本美術史の本。偶然にも表紙は『燕子花図』
その紳士は、店に入ってくるなり開口一番こう言った。
「5月5日に燕子花を使って実家のダイニングを花で装飾してほしい」
紳士の両親は毎年5月5日の結婚記念日に、夫妻で南青山の根津美術館に
所蔵されている『燕子花図屛風』を観にいく事が二人のイベントであった。
その後には二人連れだって食事をするのが決まりのコースであったが、
時節柄外出は控えるように主治医に言われ、それが叶わなくなった。
今年は結婚50年目の特別な年であり、その代わりとなるものをと、
夫妻で話し合い、自宅にケータリングで食事を届けてもらう事にした。
そして「食卓に何か特別な花が欲しい」といわれ、具体的な内容を
伝えられないまま、紳士にそれは委ねられ、急いで来店に至ったということで
あった。「花は詳しくはないが、毎年二人で観ていた『燕子花図屏風』の
イメージで作ることはできますか」と言ってから少し間をおいて
「こんな願いでも叶えられますか」と私の目を覗き込んだ。
私は「内容をお任せして頂けるならお受けいたします」と伝えると、
彼は間髪入れず「すべてお任せいたします」と応えた。
🧿 新井が描いたラフスケッチ。制作に至るアイデアが書き込まれています。
まるでショートショートのようなこのストーリーを元に、新井が考える
燕子花図が形づくられて行きます。
🧿 今回のアレンジメントのために新井が選んだのは、
金が鈍く輝く船形の2台の器。燕子花図の背景が思い浮かぶセレクトです。
🧿 新井が手にしているのはカキツバタの葉ではなく「オクラレルカ」の葉。
どちらもアヤメ科の植物ですが、今回は鮮やかな色とまっすぐに伸びる
シルエットが美しいオクラレルカの葉を燕子花に見立てて使います。
🧿 薄く折れやすいオクラレルカの葉をまるで拝むように丁寧に挿していきます。
🧿 葉を挿した後には植物と器を繋げるように化粧砂利を入れていきます。
🧿 カキツバタの花が使われるのかと思いきや、淡い黄色の小ぶりな胡蝶蘭が。
「今回はあえてカキツバタの花は使っていません。とても傷みやすい花なので、
こうしたアレンジにはあまり向かないという理由もありますが、
自分なりの解釈をしてみたかったので…」
🧿 ごく小さな試験管に水を入れ、胡蝶蘭の花だけを挿します。
🧿 胡蝶蘭を挿し終えると器を回転。思いがけない仕掛けがあるようです。
完成、尾形光琳が描いた燕子花に見立てたアレンジメント
🧿 尾形光琳が描いた燕子花に見立てたアレンジメントの完成です。
光琳の燕子花図は群青、群緑、金の3色。新井は花を群青ではなく、
淡い黄色で表現しました。「光琳の絵をそのまま写し取るよりも”自分だったら”
という表現を考えました。主役であるカキツバタの反対色である黄色の
胡蝶蘭に置き換えたのは、燕子花図への返歌のような気持ちなんです」
さて、このアレンジメントは一面だけでは終わりません。見る位置を
変えると、鮮やかな紫色が少しだけ覗いています。
🧿 なんと、もう一面は鮮やかな紫のバンダが現れました。
「光琳は『風神雷神図』も描いていますが、その屏風の裏には酒井抱一が
『夏秋草図』を描いていて、その対比に感動しました。何より光琳への
憧れが伝わってくるのがいい。だから自分は作品こそ違えど、
琳派ならではのルーツを表す、表と裏が響き合うような表現を目指しました」
『燕子花図』ではカキツバタがジグザクとリズムを刻むようにレイアウト
されていますが、新井はその軌跡をなぞるかのように、胡蝶蘭を配しました。
撮影の当日、新井が1970年に万博の記念に発行された
『燕子花図の切手を持ってきてくれました。子どもの頃から
ずっと大切にしていたものだとか。
その頃から漠然と美しいと思っていたこの絵画を、半世紀以上経った今、
花で表現するという試みに快く応えてくれた新井に、宗達、光琳、抱一、其一と
百年単位で脈々と続く琳派のアーティストたちの志を見たように思います。
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