10年独居して亡くなった父への想い・・・

       

       《和子は又々こんな記事を見た~》

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

10年独居して亡くなった父は、

赤いランドセルを抱いて寝ていた。汚れた大量の布団、

ハサミ50本…実家の整理で見た父の孤独

もっとも人口ボリュームの多い団塊の世代は、2022年に後期高齢者となります。

約600万人、日本人の約20人に1人が年老いていくことで、

未曽有の高齢社会に突入します。親の実家を整理する「親片」は大変な労力を

要するもの。また、空き家の問題も浮上しています。最期を前にしたとき、

私たちは自分の人生を振り返ることでしょう。大切にしたいものは

人それぞれのようですが、遺された子どもには迷惑なこともあります。

菊田恵理さん(大阪府・会社員・43歳)が父の家で見たものは・・・

* * * * * * *

私の部屋にできた「地層」に

戦後のモノのない時代を生きた父が、80歳で他界した。彼の口癖は

「もったいない」。気持ちはわかるが、度を越えた「捨てられない人」だった。

一緒に暮らしていたときも不要なものを溜め込んでいたが、私が勝手に

処分していたので、ゴミ屋敷にはならなかった。それでも気がつくと、

スーパーのレジ袋、駅などで配られるポケットティッシュが部屋の隅に

積み上がっている。 そんな父が一人暮らしになったのは、私が結婚して

家を出てから。父が他界したことで、その後の実家のありさまが発覚した。

というのも、結婚して10年間、私は一度も実家に帰れなかった。

結婚生活が楽しくなくて、幸せではなかったから、沈んだ顔を見せたく

なかったのだ。男手一つで私を育ててくれ、結婚するとき心底安心していた

父に、余計な心配はかけたくなかった。

そんな私の気持ちを察していたのか、父は電車を乗り継いで、私の好物が

たくさん入った紙袋を提げて、よく会いに来てくれた。そのときの父は、

身なりもしっかりしていたから、一人でもちゃんと暮らしているのだと

思っていたのだ。

   

父は心不全で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。ばたばたと初七日を

済ませ、心の整理がつかないまま、私は一人で実家の整理に行った。

10年ぶりの実家は、ひんやりとした空気に包まれ、懐かしさと寂しさを

伝えている。父は10年も、一人でここに暮らしていたのだ。もっと一緒に

いてあげればよかった。 懺悔の思いを抱えたまま、居間を出て2階に上がる。

私の部屋の襖を開けたとたん、さっきまでの思いが吹き飛んだ。

10年分の新聞紙のインクのニオイが、室内は大量の布団であふれていた。

いったい何人分あるのか。柄はバラバラで、見たことがないものばかり。

しかも、すべて汚いのだ。どうやら父は、捨てられていた布団を拾ってきた

ようだ。 その山に挟まって、父のサイズとは合わない服が大量にある。

布団の山の上には、座布団の小山があり、布団の下には、毛布らしきものが、

地層のように重なっている。父はこの布の山を築いてどうするつもり

だったのだろう。 父の部屋はもっと酷かった。かろうじて寝るスペースは

確保されていたが、そのほかは隙間なく新聞の山が築かれている。

私が家を出てから、10年分の朝夕刊が、広げた状態で積み上げられていた。

タバコと父の体臭、さらに10年分の新聞紙のインクのニオイが混ざって

異臭を放っている。

   

さらに驚いたことに、この新聞紙の間には、赤面ものの写真が隠れていた。

年をとっても父は男。そういう欲情があっても、と理解はしたいが、

そんな写真が100枚以上となると、さすがに異常さを感じる。そもそも

どうやって入手したのか。父が生きていても、怖くて聞けなかっただろう。

押入れからは、無造作に放り込まれたはさみが50本近く出てきた。

錆びたものもあれば、新品で箱に入ったものもある。どれも裁ちばさみで

大きく、いまにもジョキジョキとこちらに切りつけてきそうな気がして、

ゾッとした。 さらに奥には、大量の釘が入ったダンボールが3つ。

父は大工でもなければ、工作が趣味でもない。さらに不思議なのは、

金槌がひとつもないこと。ただひたすら釘だけをダンボールに

溜め込んでいたのだ。 驚きはまだある。1階の台所のシンク下には、

包丁が37本もストックされていた。すべてピカピカに研ぎすまされていて、

切れ味抜群といった感じだ。刃の光り具合から考えると、父はこまめに包丁を

研いでいたようだ。昔話に出てくる、山姥を連想させた。大型のはさみに包丁、

銃刀法違反で捕まるのではないか。なぜ溜め込んだのか

   

実家は借家だったため、引き払いは急ぐ必要があった。整理する気力もなく、

一気に処分したい。だが、市では一度にこのゴミの山を引き受けてはくれないので、

回収業者に依頼する。業者はドライに、あの大量のはさみや包丁をすべて

持っていってくれた。トラック3台分、費用はなんと25万円だ。

   

不用品の山を処分しながら、ふと、父はなぜこんなにもモノを溜め込んだのかと

考えた。もともと捨てられない人ではあったが、一緒に暮らしていたときは

ここまで酷くはなかった。捨てられているものをわざわざ持ち帰ることは

なかったのに。 その答えは、淡々と作業をしていた業者の一言で判明した。

「これも処分していいですか?」。見るとそれは、赤いランドセルだった。

父が毎日寝ていた布団に包まれていたという。

   

私が小学校に入学するときに父に買ってもらったもので、6年間愛用した

ランドセル。とても気に入っていて、ついていた鈴もそのままにしてあった。

鈴の音で、父は私の帰宅を知ったのだ。雨に濡れたら、その日のうちに父が

ニスを塗って手入れしてくれた。中学生になって処分したはずだったのに。

まさか父が取っておいたとは!父は孤独な人だったのだ。気難しくて

横柄な性格だったから、親しい人がなかなかできず、定年後は本当に、

毎日一人だった。きっと、寂しかったのだろう。だからあんなに不用品を

溜め込んでいたのだ。

その山に囲まれて、思い出にすがって、父は生きていたのかもしれない。

私のランドセルを抱いて、子どもの頃の私と一緒に暮らした日々を

思い出しながら、夜を過ごしていたのだろう。

親の遺品を整理するのは、子の務めだ。不用品を処分するのは当然のことだが、

たとえ不要でも、処分してはいけないものがあると知った。

もう決して使わないけれど、赤いランドセルはいま、私の手元にある。

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

【人恋し 恋とは違う 人恋し(シルバー川柳)】