母を見送って思うこと【生きるヒント】―4

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      母の遠距離介護の経験を経て、始めた私の終活

身近に起こる父母などの介護、みなさんどんな選択をしていらっしゃいますか。

私は子供たちも独立し、介護に時間を割くことができたのは幸いでした。

母の病気、日々の過ごし方、介護してくれる人への気遣いなど。

そうした中での私の経験を聞いてください。

母の病状

母は50代で盲腸、その後も心臓の手術をし、1年後には

胆石の手術を受けています。60歳半ばには、

WPW(ウォルフ・パーキンソン・ホワイト)症候群という心臓の病気で

大手術を受けました。長年苦しんできた不整脈がかなり改善され、

普通の生活を続けることができました。父は慣れない家事で、一生懸命に

母の手助けをしていました。

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78歳のときに父を亡くし、80代になって主幹狭窄症で両手の平を切開しての

手術を受けました。その後も、庭仕事や俳句、和紙のちぎり絵などをして

元気に一人暮らしを続けていました。

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遠距離要介護の始まり

91歳まで何の問題もなく過ごしていましたが、次第に手がしびれて包丁が

うまく使えない、腰が痛いなどなど言うようになりました。気になるので

月に2回、1週間ずつ世話をしていました。

聴覚の具合が悪く、通院回数が多くなり、体力的にもかなり苦痛だったと

思います。家計簿の数字がうまく書けなくなると、煩わしいと思える銀行、

証券、もろもろの家庭事務は私に一任されたことで、弟妹のねたみを

かうことになり、つらい思いをしました。

要介護の段階ですから、一人でほとんどのことはできていました。脚は

しっかりしているので、一緒に散歩に出たり、庭の草取りをしたりと、

ともに行動できました。過ぎた日の思い出話もたくさんしました。

本格的遠距離介護の始まり

92歳の春頃、不整脈がひどくなって入院。誤嚥肺炎になって2度目となる

入院です。93歳の冬、誤嚥肺炎で入院中「もう病院にいるのは嫌だから、

自宅で療養したい」と言い出し、ドクター、介護士さんたちと相談の上、

訪問診療と訪問ヘルパーに切り替えることになりました。

94歳の1月に退院。そこから本格的な自宅介護が始まりました。妹と

1週間交代です。妹は新幹線、私は高速バスとJRで通いました。

父の介護の反省から、将来母のときに役立つようにと

すぐホームヘルパーの講座を受け、2級の資格を取っていましたので、

(世の中の人には一度も役立てていませんが)今回は少し落ち着いて

介護にあたることができました。

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自宅では、おむつでなくできる限りポータブルトイレを使用。

横になる時間が多いので、足が弱っては困ると本人は言います。

母のプライドもあったと思います。食事のメニューは、いつも変えることで

残さず食べてくれました。ベッド上での小さな運動も、欠かさず努力して

くれました。あるとき母は「ずっとベッドに臥せっている病人は、

どんなふうに日々を過ごしているのかしら?」と問うてきました。

これを機に、私は母が有意義な一日一日を過ごせるよう、気を付けなければ

ならないと思いました。ずっと続けてきた趣味の俳句を口ずさんだり、

私の句を添削したり。近年始めたパステル画を描いてみたいと言うので、

庭に咲いたバラなどを描いて楽しんでくれました。30分もすると

腰が痛くなって横になり、また起きて描くことを繰り返して完成しました。

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耳もかなり難聴になり、補聴器を付けていても聞き取りが難しく

なってきたので、B5サイズの電子黒板を使い会話を続けました。母は

しゃべれますから、黒板を使うのは私です。

母が目を閉じているときも、できるだけベッドのそばで読書や手仕事を

するようにしました。目覚めると、すぐそばに寄り添っている人がいれば、

母はずいぶん安心した顔をして、「あら、そこにいたのね」とうれしそうでした。

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ベッドのそばに呼び出しベルを置き、私がどこにいても受信できるように

しておきました。これはかなり役に立ちました。耳が遠くなってからは、

電話より携帯(孫からのプレゼント)で孫たちとメール会話を楽しんでいました。

 母の終活準備

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私も今、終活なるものを始めようとしています。母は私たちが困らないようにと、

着々とすべての準備をしてくれていたことに感嘆しました。

  • 葬儀場を決め予約金を払っていた(その場になって慌てないため)
  • 生前戒名をもらっていた(自分の死後、どんな名前で供養されるのかを

         知っておきたかったため)

  • エンデングノートを作成していた
  • 公証役場の遺言書を作成していた
  • 見舞いに来た子供たちに要るものを持ち帰るようにと勧めていた

最後まで思考能力は劣ることなく、しっかりしていたのは本当に幸いでした。

亡くなる2か月前から、ときどき、「もういいでしょ?」と問うてきました。

これは、もうあの世に行ってもいいでしょ? と私に問いかけていたのです。

8月近い頃にも問いかけてきたので、私は「この暑いときは何かと

大変だから、もう少し涼しくなるまで待って」と答えて、2人でクスりと

笑いました。母は困った顔をして、「もう早く逝きたいわ」と。

それから4週間後、母は朝の洗顔と化粧を済ませ、ほんの少し食事を

摂りました(このときすでに意識がもうろうとしていた)。それでも排便を

済ませ、ほっとしたのか、横になり目をつむっていたので、私は別の部屋の

掃除をしている間に、眠るように逝ってしまいました。

すぐに気がついたので、脈を取り、血圧を測り、時間を確認し、医師に

連絡を入れた後は母の手を握り、思いっきり泣きました。

幼子を抱えて戦後の不自由な生活を乗り越え、父とともに3人の子供を

育て、大学教育の機会を与えてくれたことは感謝です。

私なりに親孝行ができたかどうか分かりません。母のように賢く、

この世での区切りができるよう努力しようと思います。

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【アルバムに 遺影用との 付箋あり(シルバー川柳)】