50代「女は損」という
呪縛型女性の人生観・恋愛観
ひと口に50代と言っても、さまざまなタイプの女性がいる。今回は
「女は損という呪縛型女性」について解説しよう。戦争や女性差別の風潮に
苦しんだ母親に育てられた影響が大きいといえるだろう。
昔ながらの価値観に苦しんだ母親に育てられた娘たち
アラフィフおよび50代女性の母親たちは、若ければ団塊世代、人によっては
80代を超えるだろう。いずれにしても、「女がまだまだ社会進出を
果たしていなかった世代」の娘たちだ。 戦争で青春を謳歌できなかったり、
本当は大学に行きたかったのに「女だから」と進学を阻止されたり、
あるいは大学を卒業しても、結局は高度経済成長のあおりを受けて夫は
会社人間となり、自身は専業主婦への道を選ばざるを得なかったりと、
自分の望むような生き方ができなかった母親たちに育てられた
ケースが多い。 母の期待を押しつけられた人、がんばってはみたものの
挫折して「結局、女の幸せは結婚」と自分をがんじがらめにして
「母親のような道」を歩くしかなかった人など、
さまざまなタイプがいる。
母親の期待を一身に背負って育てられて
青春を謳歌できなかった母親から、「これから女も仕事を持たなきゃダメ。
あなたは仕事を持って社会に羽ばたきなさい」と言われて育った彼女・55歳)。
「兄がいたのですが、生後間もなく亡くなったそうで、私は一人っ子として
育ちました。そのせいか、母は過干渉でしたね。私はあまり自己主張の
できる子ではなかったので、学校で男子にスカートめくりをされても
言い返せなかった。母は『女の子なんだから』が口癖。家では家事を
手伝わされながら、勉強にもうるさくて、完璧な人間に育てたかったみたい。
中学から私立に入れられ息苦しい思いをしながら生きてきました」
子どもの頃から自分で考えて何かを選んだことがなかった。すべて母から
与えられたものをこなしていくだけだった。洋服も食べるものも、
友達すら自分で選べなかった。 高校生のときに学校へ行けなくなり、
とうとう体調を崩して休学、そして退学。翌年、近くの都立高校に転校した。
1年遅れだったため、親しい友達もできなかった。それでもなんとか
卒業して大学へ。 「母は私を医者か弁護士にしたかったようですが、
私にはそんな能力はなかった。バブルの波に乗って就職はできました。
仕事はそれなりに楽しかったので、キャリアを積んでいくのもいいかなと
思ったのですが、あんなに仕事をしろと言っていた母が干渉をやめない。
残業していると電話がかかってくるし、同僚と食事をして帰宅が
遅くなると、『誰とどこへ行っていたの』『どんな人と付き合っているの』と。
今からでも遅くないから、大学院に行くとか留学するとかして、
もっとキャリアを目指せと言われたこともあります」
母の言うことは支離滅裂だったと今になると思う。母自身が自分の
生き方にも、「女であること」にも否定的な気持ちを持っていたからだろう。
母から逃げたい一心で「結婚」の道へ
そんなプレッシャーから逃れるためには「結婚しかない」と彼女は考え始めた。ここで家を出て一人暮らしをするという選択をしていれば、また
別の人生があったかもしれないが、彼女は母を嫌いながらも心のどこかで
頼りきっていた。だから母を裏切るようなことはできなかったのだ。
「25歳の頃、同期の男性となんとなく付き合うようになって2年後に結婚、
当時の慣習に従って私は会社を辞めました。すでに雇用機会均等法は
あったのだから本当は辞めなくてもよかったんだけど、何となく周りが
結婚すると辞めていたので、私も……と。そのときは女だから
辞めなければいけないというより、結婚という幸せを手にして母親から
離れられるうれしさの方が大きかったんですよね」
実家からなるべく遠くに新居を借り、ようやく母から離れられた。その後、
妊娠がわかったとき、彼女は急に恐怖感に襲われたという。
「これって結局、私も母と同じ人生を送ることになる、と。私の人生、
どこかで間違っていたのではないかと考えるようになってしまって」
女って損だ、自分が女だからこんな人生を送っているのだと彼女は思った。
二児をもうけたが、どちらも男の子で、ほっとしたと彼女は言う。
「今、更年期で苦しんでいるんですが、これも女ならではのつらさですよね。
男にも更年期はあるというけど夫なんか生き生きと働いています。
私も仕事を続けていればよかったのかなと思うこともあります」
いまだ自分を肯定できない彼女は、このところ夫と自分の両方の親の
介護で多忙を極めている。これも女だからだ、だから女は損だ、と
毎日つぶやき続けているという。 だが、介護を続けているうち、
福祉について興味がわいてきた。今は通信制で福祉関係の勉強を
始めている。 損だと言い続けているだけでは、本当に損ですから。
どうせやらなければいけない介護なら、いつか身内だけのためではなく、
他者にも役に立つ知識を身につけたいと思って」
彼女は将来を見つめ始めたようだ。
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和子は末娘だから、長男が結婚して2世帯同居生活を始めるまでは
「かーこちゃん・かーこちゃん・・・」と優しい母親だったけど
長男が結婚したら将来兄嫁に老後のお世話を捨て貰うから・・・
あの優しかった母は段々と我が身可愛さに薄情な母に・・・和子も
早く社会人に成って実家を離れたいと・・・一途に思う様に成りました。