【嫁姑バトル体験談2】強烈な姑に
今も太刀打ちできず
姑との確執に悩む50代女性の体験記を紹介しよう。嫁姑問題は昔ほど
深刻には語られなくなったが、依然として根深い問題となっているのである。
結婚当初はワンマン&モラハラな舅に悩まされて
「嫁姑」というと古い印象があるが、実際には今の時代にも姑との関係は
既婚女性の悩みのタネの一つ。エネルギッシュな姑には太刀打ち
できない女性も多い。 中部地方のある町で、小さなスーパーを経営する家の
長男と結婚したクミさん(54歳)。結婚して27年、3人の子どもたちは
全員成人となった。 「夫は3歳年上だから57歳になります。姑は80歳。
今でも店を仕切っているのは姑ですね。元気なのはいいことなんですが、
性格的には合わないなあと思いながら我慢して暮らしてきました」
クミさんは結婚当初から夫の両親と同居してきた。当時は夫の妹も同居、
大人5人の生活の中で、彼女だけが“他人”だった。数年たつうちに
子どもが生まれ、夫の妹は結婚して県外へと越していった。
「時間は家族の歴史ですね。さまざまな変化がありました。舅は20年前、
店で倒れて入院、1年間闘病生活を送ったけど亡くなりました。そのとき、
姑がホッとしたような顔をしたのを覚えています」
舅はワンマンでモラハラ気質な激しいタイプの人だった。姑も夫も、舅には
逆らえず、抑圧されていたようだ。酒が入ると怒鳴ったり暴れたり
することもあった。2人目の子を産んだ後、クミさんは通りすがりに舅に
体を触られたことがある。 「体が一番いいときだなって、ニヤニヤ
しながらつぶやいて触れていったんです。体が固まってしまって
まったく反応できなかった。その後、言いようのない怒りが湧き起こって。
もちろん、夫に言いました。これを見過ごしたら離婚するつもりだったけど、
夫も同じように怒って、舅に話してくれたんです。だけどとぼけられた、と。
次にやったら離婚するから、と言いました」 さすがに舅もやり過ぎたと
思ったのか、以来、クミさんの近くに来ることはなくなった。そんなだから
姑がホッとしたのもわかるような気がすると彼女は言う。
舅の死後……家業の中心は姑に
ところが舅の死後は、解放された姑が実権を握るようになった。
「舅はやりたい放題だったけど、私たちに給料はくれていた。だけど
姑が仕切るようになってからは私たちに給与という形で
支払われることがなくなっていったんです。
『財布は一つなんだからいいでしょ』って。税務上もそんなわけには
いきませんから、夫と二人でなだめたりすかしたりして今まで通りに
なったけど、姑は手強いと感じました」子育てに関しても姑とは
意見が合わず、クミさんは苦労のし通しだった。
夫は無関心。誰も味方になってはくれない
結局、夫はいつでも逃げの姿勢をとっていて味方にはなってくれなかった。
「姑はひと言いうと百言返してくるタイプ。だから面倒になって、だんだん
会話はなくなっていきました。姑が一方的に文句を言って私は黙って
聞き流す。だけど『あなたは家風に合わないのよねえ』『どういうしつけをされてきたのかしら』などと言われたときは、本当に悔しかった。
家風というほどの旧家でもないし資産家でもないのに、どうしてそんなに
私をバカにするのだろうと……」つらかったら帰っておいでと
言ってくれていた実家の母は、15年前に亡くなった。後を追うように父も鬼籍に入った。両親の看護もろくにできず、親孝行もできなかったとクミさんは
後悔しかなかったという。「一番腹が立ったのは、両親が亡くなったとき姑が
『これでやっとあなたも、この家のことを本気で考えられるようになって
よかった』と言ったこと。人の悲しさに寄り添えない人間を家族だと
思いたくなかった。このときは『私、今の言葉で、お義母さんのことを
一生許しませんから』と言ってしまいました。それ以来、前にも増して
関係はギクシャクしていますね」そのことを夫にも話したが、夫は
「もういい加減、おふくろのことを悪く言うなよ」と言っただけ。
夫が自分の話の内容を深く考えることはないのだとクミさんは痛感した。
子どもたちが全員、家を離れたのは自立したのだからうれしいことだが、
これで家の中に自分の味方がいなくなったのは寂しいことでもあるだろう。
「姑は本当に元気な人で、今も朝から店で働いています。私の方が更年期で
心身ともに不調。いつになったら姑の呪縛から逃れられるのか、
ラクになれるのか。姑より先に私が逝ってしまいそうです」
冗談とも本気ともつかず、クミさんは眉間にしわを寄せたまま言った。
嫁姑問題は永遠なのかもしれない。世代の違いだけでなく、個人としての
考え方の違い、家族観の違い、立場の違い。共通点を探す方が難しいともいえる。
同居しなければならない環境では息を抜くこともできないだろう。
いつになったらラクになれるのか。クミさんのつぶやきが耳から離れない。
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和子は義務教育を終えて、織物工場に就職し社員寮で6年働き、
年頃の娘に成っても、家事も行儀見習いも何一つ取柄が無く静岡で酒屋を
営む、ご本家のお手伝いさんに一年と言う条件でお世話に成りました。
このお宅には和子の母と同じ年の親奥様・若旦那様・若奥様・若夫婦の
お子さんが小学4年・2年・幼稚園児のお嬢さんが3人と2歳に成る
男の子さんと7人家族でお手伝いさんが和子の他に2人と畑を手伝う男性が
1人で住み込みは和子と畑のオジサンで後の2人のお手伝いさんは通勤でした。
親奥様は42歳の時に未亡人に成って5人の子供とお店を守って来たと言う
経歴が有るから、皇后さま的存在所か天皇に成った様な気位の高い
お婆さんでした。此処のお宅にお嫁に入ったお嫁さんは其れはそれは
ご苦労が絶えなかったでしょうね?若旦那様は月の半分位静岡のお店に行って
家を留守にします。すると嫁いびりが始まります。今の若者と違い反発は
絶対に許しません。若旦那様がお店から帰って来られて旦那様に零しても
旦那様は、このクミさんと同様絶対に奥様の味方はせず「もう先が短いから
我慢してやって呉れ」としか言わないそうです。せめて奥様の前では同情心を
見せて上げれば良いのに・・・
ある夜に和子が夕飯の後片付けをして居ると小雨の降る中を夫婦喧嘩をして
家を出て行こうと・・・和子は立派なお宅の若奥様が4人の子供を置いて
出て行ったら2度とこの家の敷居は跨げないと思い、必死に若奥様に
しがみ付いて引き止めました。子供部屋では次女の泣き声が・・・
子供の泣き声を耳にして思い留まって下さったけど・・・有る時は精神安定剤を
一瓶飲んで丸2日間昏睡状態に成られて2歳のお子さんを寝かし付けるのが
未熟な和子は大変だった事も・・・
良く若奥様は和子に「6畳一間のアパートでも良いからこの家を出たい」と・・・
最終的には親奥様は亡くなる前に手帳にびっしりと若奥様の悪口が書いて
有ったとか?
この数年前にネットで開いて見たら「近江商人・ふるさと館」に成ってて
ビックリ・・・未だ若奥様は80代で元気だと思うし2歳の息子さんは
「6代目・山中正吉」を継いで居ると思うけど・・・