《和子は又々こんな記事を見た~》
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定年を迎えた市バスの運転手 最後の乗務、
普段は乗客が少ないバス停から乗り込んできた顔ぶれを見て…
鹿児島県立武岡台養護学校のスクールバスの元運転手で、鹿児島市
コミュニティバス「あいばす」の運転手大宮司守さん(72)=吉野町=が
定年退職した。最後の勤務日となった18日は、養護学校の卒業生らが本人には
内緒で乗車。思いがけない演出に驚きながらも、大宮司さんは笑顔で再会を喜んだ。
南国交通のドライバーだった大宮司さんは、2012年度までに計4年間、
養護学校のスクールバスで生徒たちを送迎。穏やかな性格でいつも生徒たちを
温かく見守り、保護者や添乗員も頼りにする存在だったという。
介助職員梶原豪さん(48)。「最後の乗務をにぎやかに」と卒業生や保護者、
大宮司さんの家族に協力を依頼した。
当日は13人が参加。午後7時すぎ、吉野地域を巡回するあいばすの最終便に
無線前バス停から乗り込んだ。普段は乗客が少ない場所だけに戸惑った
大宮司さんだが、懐かしい顔ぶれを見つけるとうれしそうに迎え入れた。
他の乗客はおらず、終点まで40分の道中は母校の校歌を合唱するなどして楽しんだ。
終点の高齢者福祉センターでは花束を贈呈。卒業生の川原慎太朗さん(22)=
坂元町=が「みんなを大事に運んでくれて、ありがとう」と感謝すると、
大宮司さんは「みんなの温かみを感じた。運転手冥利(みょうり)に尽きる」と
目を細めた。 感動的な再会のあまり、大宮司さんが降車口を閉め忘れたまま
車庫に出発しようとするハプニングも起きるなど、笑いの絶えない見送りとなった。
梶原さんは「大宮司さんの人柄がにじみ出ていた。コロナ禍で会いたい人にも
会えないご時世。思い切って企画して良かった」と満足そうに話した。
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和子も60歳で定年を迎えて、横浜の某ホテルのゲストランドリー室を
退職しましたが、未だ々60歳で家に居座るのも一寸抵抗が有って
職探しをするのですが、勿論今のそうですが、昔は定年を過ぎた高齢者は
ビルのお掃除くらいしかお仕事は有りませんでした。和子は何となく
おそうじの仕事は抵抗が有り、雇用保険を頂きながら、訓練校に3ヵ月
通い、ヘルパー2級の資格を取ってやっぱり介護施設で働きたいなぁ?って
思って居ましたが、介護施設は夜勤が有り、60歳を過ぎて夫が定時で
帰って来るのに・・・「じゃ~仕事に行って来るね?」も無いから・・・
「此れじゃ~お掃除のオバチャンよりひどいジャン~おむつ替えなんか
しちゃって・・・」って思ったけど・・・認知症の利用者さんのお世話は
本当に大変でしたが、決められた時間、利用者さんのお世話をして
「じゃ~じゃ~帰るね?」と言うと「有難う~・・・」と言って呉れる
利用者さんのお言葉に重みを感じ、やっぱりビルのお掃除よりヘルパーさんに
成って良かった~、 ビルのお掃除は仕事を終えて帰る時に・・・
事務所で「じゃ~失礼します」とご挨拶しても上司からは「ご苦労さん」で
終わっちゃう・・・この「あいばす」の運転手大宮司守さんも養護学校の
生徒さんが最終のバスに乗りに来て呉れて感無量だったと痛感します。
本当にご苦労様でした。