《和子は又々こんな記事を見た~》
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記憶なくし名前ないまま30年 香川で途絶えた手がかり
20代半ばまでの記憶を失った男性。「津和野」という新たな姓で生きる=京都市
男は中華料理店へ入った。注文した中華丼や唐揚げを食べ、ビールと焼酎を
飲み終えた。「おい」。店主に声をかけ、ナイフを突きつけた。レジ近くの
箱をひったくり、逃げた。だが、箱を開けてみると現金はなかった。入っていたのは
売上伝票だけだった。 男は百貨店に駆け込んだ。トイレに入り、
バッグにしのばせていた刃物を取り出した。シャツをまくり上げ、腹に突き刺した。
床に倒れ込んだ。腰に巻いたコルセット越しに血がにじみ出て、
そのまま意識を失った。
男は絶望していた。 この数カ月前。工事現場での仕事のあっせんを約30年間に
わたり頼んできた手配師の男性が、突然に姿を消した。仕事が得られなくなり、
毎日の食事代にも困るようになった。その手配師以外に頼れる人はおらず、
男は路頭に迷った。 男は、運転免許証や住民票などの身分証明を
何一つ持っていなかった。それどころか、自分の氏名や正確な年齢さえ
わからなかった。 男には、20代半ばまでの記憶がほとんどなかった。
💦 病院を抜け出した先で…
記憶を失ったのは、鳥取・米子の工事現場での事故がきっかけだった。
後に周囲からは、「26~27歳」ごろのことだと言われた。
クレーンにつるされていた22ミリの鉄板が、数メートル上から落ちてきた。
安全ヘルメットとともに頭蓋骨(ずがいこつ)が割れた。
約1週間後に目覚めると、全身が白い包帯で巻かれていた。頭蓋骨骨折、
左足の粉砕骨折、内臓損傷、そして、記憶障害。
質問を重ねてきた脳外科医から言われた。「記憶は少しずつ戻ってくるかも
しれない」。会社の上司や看護師らは気の毒そうに見てきたが、自分では特に
何も感じなかった。「おれはそういう人間なんだ」。そう思っただけだ。
半年後、退院の日が迫っていたある日の真夜中に、病院を抜け出した。
勤務先は高額の医療費をまかなう余裕がなかった。小遣い程度の現金を渡され、
遠方への逃亡を指示されていた。勤務先には出身地などを伝えていなかったらしく、
帰る先は分からなかった。
求人の貼り紙で見つけた関西の工事現場で、長年の付き合いとなる手配師の
男性に出会った。その手配師に任せれば、仕事を探す手間が省けた。現場ごとに
必要な作業員の登録も、偽名で済ませてくれた。
手配師は男を「てつ」と呼んだ。幼いころ、自分を「哲(てっ)ちゃん」と
呼ぶ友だちがいたことをかろうじて思い出し、手配師にそう伝えたからだ。
各地を転々とし、工事現場の宿などで寝起きをした。大病にもかからず、
健康保険や住民票がなくても特に問題なかった。記憶をそれ以上取り戻す
必要も感じず、30年ほどが過ぎた。
💦 思い出した「かがわ」「たどつ」
手配師に去られ、中華料理店で事件を起こした後に自殺を図った男は、
容体の回復後に強盗などの疑いで京都府警に逮捕された。2010年5月のことだった。
男は容疑を認めたが、身元がわからない。府警は指紋などから前科前歴を
洗ったが、見つからなかった。レコーダーで話しぶりを録音し、
特徴的な方言がないかも探ったが、長年各地の工事現場を転々としていたためか、
標準語に近かった。 府警の取り調べで、男は何度も記憶をたぐるように求められた
記憶を取り戻す意思を持っていなかった男にとって、過去と向き合う作業はほとんど
初めてだった。 「かがわ」「たどつ」
思い出した。住んでいた地名だ。両親は幼いころに亡くなり、漁業で生計を立てる
親類の夫婦に育てられた。養父の名は、「中野邦夫」だった――。
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両親から頂いた尊い命、この世に生を受けて、人生数十年生き抜くのは
本当に大変です。人間関係の難しさ、病魔との闘い、「波乱万丈」の
人生です。和子も病魔に侵されて優しい夫や可愛い愛息子の愛も閉ざされ
「死んでこの苦しみから逃れたい」と思った事も有りましたが、折角
両親から頂いた尊い命を自ら経っても絶対に幸せは戻って来ない
死ぬ気に成れば何だって出来る。
この名前を失くして30年、どの様な思いで生きて来られたのでしょうね?
この長年途絶えていた手配師の男性と再会し仮名「てつ」と命名されて
今も生きている様子。
自ら命を絶っても何も生まれて来ません。この世に生を受けて居れば絶対に
喜びも生まれて来る。