和子は寮生活をして居る頃から思い出の一ページと思い、写真を撮ると
何時も母の所へ送って居ました。
母は兄ちゃんの残した写真とか君ちゃんの写真とか和子の送った写真を
一冊のアルバムに貼って大切に保管し、偶には眺めて楽しんで居たのでしょう?
そのアルバムの中には大阪の彼の写真や長浜の植木職人の中川君の写真も貼って有り、「アラッ、こんな写真まで???」とチト和子の青春時代の思い出が
沢山貼って有り、母が亡くなった時に横浜に持って帰ろうと探しても見つからず、
諦めて居ました。
姉さんが亡くなった時に成治さんから「かーこちゃん昔の乙女の写真を見せて
やろうか?」と言って母が大事にして居たアルバムを渡して呉れました。
「ま~嬉しい・・・これお母ちゃんが亡くなった時から探して居たんだけど~
良かった~有難う~」と言って頂き、改めて見ると君ちゃんが中学の修学旅行で
東京に来た時の写真も一杯貼って有りました。
姉さんの葬儀・告別式も終わり・・・「この写真、君ちゃんに見せて遣ろう~」と・・・翌日君ちゃんの家に行って見せたら・・・君ちゃんも懐かしがって・・・
「このセーラー服、能勢の山に割木を運びに行って
小遣いを貰って私が買ったんだ」と初めて聞き、
(和子だけじゃなく君ちゃんもお金で辛い思いをして居たんだ~?)と
痛切な思いをしました(涙・・・)
【共白髪 まっぴらごめんと 妻茶髪(シルバー川柳)】