無事に大手術も成功で終わり、此れからは和子の努力次第!
2週間の身動きの出来ない闘病生活、毎日窓から見える外を眺めながら
後12日・後11日・・・と・・・手術をする前に元気だった頃にお部屋に
入院して居た皆さんは子宮筋腫の方ばかりで元気に退院されて
総入れ替わり・・・
4日目の夜にガスが出て石塚先生に「温かい煎茶が飲みたい」と我儘を言って
飲ませて貰った煎茶は美味しかった〜其れからは皆さんと同じ様に
3度食事が届く様に成りましたが、配膳の方が「秋山さんお食事で〜す」と
枕元に置いては呉れますが、誰も仰向けに寝て居る和子に食事介助をして
呉れる人は居ません。家政婦さんの南波さんと白鳥さんと2人、この病棟の
担当者でお世話をして呉れる筈ですが、南波さんに至っては血も涙も無い
薄情な人で「貴女だけが患者じゃ無いからね?」って何時も言い「勝手に
食べなさい」って感じでした。確かに大勢の患者さんが居て和子だけが
患者じゃ無い事は重々判って居ます。でも〜和子だけに限らず、病院には
弱者の患者さんが大勢居ます。病院で弱者のお世話をする立場に居ながら
何と言う事を???もう少し優しく声は掛けて遣れないのか?って思い
和子は悔しさを通り過ぎて、返って気の毒な方だなあ?って思いました。
其れに比べて白鳥さんは、優しい声を掛けて呉れて食事介助をして呉れて
最高の家政婦さんでした。
又、毎日お姑さんは洗濯物を取りに来て呉れますが、昼食の終わった後
2時頃に来て夕食の前に「和子さん、寒いから帰るね?」って帰っちゃう〜
和子は夫と結婚し継母と聞いた時に(夫の実母で有っても、今のお姑さんで
有っても和子に取ってはどっちも他人様!夫の実母と思い接し良き親子に
成りたい)と何時も思って居ましたが、この時は和子の実母と比較し
(うちのおかちゃんだったらしっかりとご飯を食べさせて呉れてお膳を下げて
帰って呉れるだろうに〜?)ってチョッピリホームシックに・・・
とにかく仰向けに寝たままで枕の隣にお盆を置いて食事等、到底
食べられません。日赤病院は看護学校の学生さんが数人居ます。
そんな学生さんを呼び止めて食べさせて貰ったり・・・又一度入れ替わった
以前の患者さんは皆さん優しい人でしたが、2度目の患者さんは
お膳一回下げて呉れる人は無く入口の三国さんが時々下げて呉れる?
皆さん優しそうな顔をして居ても冷たし心の持ち主と・・・田舎育ちの
和子には理解に苦しむ事が多々有り又一つ社会勉強を・・・