和子の生い立ち-76〜夫の苦労ばなし〜

お見合い結婚で、勇ちゃんから「真面目で大人しい人」としか聞かず
結婚をした和子は、夫から「あれは俺のお袋じゃ無い」と聞かされ
驚きました。実母は戦争の最中、食べる物も満足に無い時代の昭和18年
35〜6歳の若さで栄養失調で4人の男の子を残しこの世を去り
当時父はパン屋さんを営み、生活を支える為に、新潟の父の実家と母の実家に
預けて仕事に励んだそうです。当時長男は13歳・次男は9歳・夫は5歳
弟は3歳だったとか?3歳の弟は母体で満足に栄養が行き届かず障害児に・・・
10歳に成る時まで歩けなかったとか?


新潟の祖母の家で育った夫は小学6年生に成る春、東京から父が迎えに来て
我が家に帰って来た時は小学一年生の男の子と知らないオバサンが???
父は子連れの義母と再婚をして居たそうです。
其の時から継母苛めが始り・・・苦労のどん底の生活を・・・
学校で多摩川に遠足が有り、お友達は母の手作りのお弁当に果物や
おやつを持って来るのに・・・俺は麦飯に梅干しが入ったおにぎりだけだった
田舎から帰って来て学校でも苛めに合い、仲間は美味しいお弁当やおやつを
食べるのに俺は本当に惨めだった。それでも中には哀れに思ったのか
沢庵を一切れ呉れた友達が居て、其れはそれは嬉しかった〜と・・・
学校の校章を失くして「失くしたから買って欲しい」と言っても絶対に買って
呉れない「嘘を付いて小遣い稼ぎをするのでしょう?」と言って・・・
学校では先生に怒られるし・・・お袋は買って呉れないし・・・と?


和子も散々兄嫁の苛めを受けて苦労しましたが、此れこそ「似た者夫婦」って
言うのでしょうか?
其の時、和子は「貴方が若し田舎の人なら世間様は同情して呉れる人が居る。
でも和子は立派な両親が居るから世間様はおろか、兄姉にも同情されない」と
この時、和子はお姑さんが実母で無い事を初めて知らされましたが、
和子のお姑さんは実母でも後妻さんでも、どっちにしても他人様!
今のお姑さんを実母と思い接していこうと思いました。