和子の生い立ち-53〜田植えに挑戦〜

正木屋のお休みの日は「かーこも百姓の家へお嫁に行く事も有るかも
知れないから今年は田植えを手伝いなさい」と言われ滝原の田んぼに
借り出されて姉さんと田植えを・・・
家の田んぼは沼地で一年中田んぼに水が溜まり蓮華の花を植える様な
田んぼでは有りませんでした。
田んぼには3畳ほどの小屋が建てて有りこの中に農機具が・・・
この田んぼに来るには大通りから河向こうに有るので一本橋を渡って来ます。


昔、昔和子が生まれる前に亡くなった多喜子と言う姉が居たそうですが
両親は兄ちゃんと君子と多喜子を連れて、この滝原に田植えに来たそうです。
昭和17〜8年の頃、多喜子は赤ちゃんで母がおんぶして君子が2〜3歳?
兄ちゃんが7〜8歳に成って居たとか?7〜8歳に成ってる兄ちゃんは身の傘と
合羽を持ってこの一本橋を走って渡ったとか?2〜3歳の君子もその後を
追って行き足を踏み外して河へ転落。この河は犬上川で川幅も広く
丁度その時は大雨が降った後で水嵩が深く泥水だったそうです。
父は土手を先廻りして深い泥水の中へ飛び込み、君子の一命を取り留めたとか?
恨めしそうな顔をしてアップ・アップ・・・と流れて行く君子
父は命掛けで助けたと・・・又その日は運が悪く田んぼの小屋でたき火を
しながら・・・多喜子をムシロの上に寝かせ、君子に子守りを・・・
すると多喜子が寝返りをして大火傷を負ったとか?
その年の秋、多喜子は肺炎で短い命を絶ったそうです。


この滝原の田んぼに来ると、そんな悲惨な一日話しを母から良く聞かされました。
都会に嫁ぎたいと微かな夢を描いて20数年頑張って来たけど
結局都会への伝手は無く、遂に泥沼に入って和子も百姓をするのか?
其れにしても姉さんは田植えが早い。和子が6本植えで土手から土手まで
下がるのに姉さんは8本植えで1回半?流石〜若い頃は百姓で生計を
立てて居ただけに凄〜い!!