和子の生い立ち-37〜酒屋の本宅で修業〜

丸6年近江織物で働き、兄ちゃんが事務所に退職願いに来て呉れて
楽しかった寮生活も終止符を打ち、太一さんに軽トラで2回
荷物を運んで貰い会社を退職しました。末娘で駄目娘とレッテルを
貼られた和子も当時のお金で10万円の大金を残し、隠居の
内縁の押し入れに一杯の荷物を持って帰って来た和子に父は感心し
「かーこも良く遣ったな?」って喜んで呉れました。


一年と言う約束で日野の山中正吉商店の本宅へ行儀見習いと言う
名目でお手伝いに行きました。このお宅は静岡で酒屋さんを営む
本宅でご家族はお婆ちゃんと若夫婦と子供さんが3人(女2人・
男1人)男性のお手伝いさんが一人と女性のお手伝いさんが
和子を入れて3人、和子一人が泊まり込みで後のお手伝いさんは
皆さん自宅から通勤、男性のお手伝いさんは一寸頭が軽く
「おっさん」と・・・女性のお手伝いさんは川村さん・松村さん
此処のお宅は豪邸でお部屋が数10個有ってお庭も広く
奥にはお婆さんの菊作りの大きな畑、川村さんとおっさんは
畑のお仕事が専門、オバサン(松村さん)と和子は家の中専門
此処のお婆ちゃんは母と同じ歳で65歳、この家では
「お婆さん」とは絶対に呼ばせませんでした。
親奥さん、若奥さん、旦那さまと・・・
親奥さんは42歳で未亡人に成り6人の子供とお店を守って来たと言う
気持ちが有るから皇后陛下と言いたいけど・・・天皇陛下の様な
気持ちで威張って居られました。

散々会社勤めをして羽を広げて来た和子には其れはそれは厳しい
毎日でした。