和子の生い立ち-28〜洋一との出会い〜

20歳の誕生日に遅番で午後1時からの仕事で昼食を済ませて西工場へ
向かう途中受付で・・・「小林さん電報が届いて居るよ〜」って声を
掛けられ貰いに行くと「オタンジョウビ・オメデトウ   
ヨウイチ」と記されたお祝い電報でした。生まれて初めて頂いた
「お祝い電報」和子は思い掛けない誕生日プレゼントに感動しました。
この洋一さんも若い季節の文通欄で知り合ったお友達、と言うより・・・
以前に投稿した文通欄より和子を見つけて送って下さった祝電で
見ず知らずの男性からの祝電でした。でも和子は・・・
「オタンジョウビ・オメデトウ・・・」と言う文面に感動しました。
仕事を終わって寮に帰ると1通のお手紙が・・・
「初めまして・・・突然の電報で驚かれた事でしょう?石田洋一です」と
和子はこのお手紙で以前に投稿した文通欄から・・・と言う事を知り
又随分月日を重ね、忘れて居たのに・・・何となく20才の若さで
不思議と縁の深さを感じました。
植野さんと文通をした時は1年文通を続けてからようやく京都で
待ち合わせて初デートをしましたが、彼は1ヶ月程でデートの誘いが・・・
其れ以前に写真も届き、和子の好みのタイプでした。
当時、西郷輝彦千昌夫が人気絶頂の頃でテレビでは星影のワルツや
アケミと言う名で十八で・・・星のフラメンコ等が良く流れて居ました
彼は西郷輝彦千昌夫をプラスして2で割った様な???
決して好青年とは言えませんでしたが、好感の持てる男性でした。
文通を始めて1ヶ月程して京都駅中央出口の公衆電話の前で
待ち合わせをし初デートは京都の植物園に・・・
大阪で床屋さんに勤め、流石サービス業だけに会話も豊富で色々
お話しを聞かせて呉れて取っても楽しい洋一との初デートでした。