和子の生い立ち-12〜やっと社会人〜

無事に落第もせず、仲間と同じ様に義務教育を卒業しました。
滝中学校、昭和34年卒業生は全部で64人。進学する人32人
就職する人32人、未だ和子達が卒業する頃は半分進学、
半分は就職で、高校へ進学しなくっても全然恥ずかしいとは
思いませんでした。当然、好ちゃんも、し〜ちゃん(静子さん)も
高校進学でした。

和子は平塚茂ちゃんと西村よしのさんと3人で近江織物株式会社へ
就職しました。この会社は従業員800人程で約500人は女性で
寮生活、東寮・西寮・南寮・と新しく北寮が・・・
昭和35年3月29日、いよいよ近江織物株式会社の入社式!
和子は(やっと社会人に成る・もうあの嫌な姉さんに「お金を頂戴」と
言わなくっても良い。こんな家に絶対に泣いて帰って来るものか?)と
心に決めて一社会人に成った。

入社式の当日、母はお腹が痛いと苦しみ、和子を送って呉れる事も無く
寝込んで居ました。母の代わりに兄ちゃんが丸三の入社式に来て呉れました
いよいよ家を出る時、隠居の奥の間で寝て居る母に「行って来るね?」って
挨拶をすると、普通の親なら暫く帰って来ないのだから・・・
「身体に気を付けて、辛く成ったら何時でも帰ってお出で〜?」って
出して呉れるだろうに・・・母は
「かーこ、せめて5月の祭り(5月5日)までは帰って来るんじゃ無いよ〜?」
って、言われた言葉が印象的で忘れられませんでした。
その時は(誰が帰って来るもんか?末っ子だからって馬鹿にするな?)と
思って居ました。今思えば・・・
きっと母だって(身体に気を付けて、辛く成ったら何時でも帰ってお出で〜?)って
言いたかっただろうに〜きっと近所の人から「あの泣き虫がきっと
泣いて帰って来るよ〜?」って噂して居たのでしょう?
其れを母は気にして「せめて5月の祭りまでは帰って来るんじゃ無いよ〜?」
って言ったのだろうと和子は思う。