和子の生い立ち-5 〜花まつり〜

樋田の部落は20軒ほどの小さな村です。小学1年生から中学3年迄合わせても
2〜30人居るかな?日曜日に成るとお寺のごえんさんが日曜学校を
遣ってくれて、毎週日曜日にはお寺にお経さんを上げに行きました。
又4月8日の花祭りには台車の上に木で作った像の背中にお釈迦様を乗せた山車と言うのかな?
その象を1年生から中学3年生まで(だったかな?)の
子供が引いて川相のお寺に寄って甘茶をご馳走に成り、北谷の佐目の
お寺まで行きました。佐目までは結構な道程で歩いて1時間以上は
掛かったのでは?その道程を往復し一日皆と楽しい時間を過ごしました。
帰ってからだったか、次の日だったかは記憶に有りませんが、
左足の膝の下に痛みを感じました。母は「久し振りに遠出をしたから
筋肉痛だろう?2〜3日もすれば直るよ」と・・・
所が3日経っても1週間過ぎても痛みは治まらず大杉先生の所へ
母に連れられて診察に行きました。
此れが和子の初めての大病の発端だったのです。

小学3年生4月、
左足の痛みは治まらず大杉先生の診察を受けましたが、病名は
「間接リューマチ」と診断され一時は歩く事も出来ず、
大杉先生の所へ行くのもリヤカーに布団を敷いて乗せて貰い
注射を打ちに行く有様。そんな事を何度か繰り返し
何とか学校へ行く様に成りましたが、秋には又学校で痛みを覚え
歩けなく成って先生に家までおんぶして連れて帰って貰った事も・・・
でも、日増しに関節リューマチも回復し無事に3年生も終了し4年生に進級しました。