近江日野商人「ふるさと館」旧山中正吉邸

 江戸時代、全国各地で活躍した日野商人たち。山中正吉家は、天保初年から今の静岡県富士宮市で酒造業を営んだ日野商人です。  西大路に今も残る旧山中正吉邸は、日野商人の代表的な本宅建築「旧山中正吉家住宅」として、平成27年3月31日に町の有形文化財に指定されました。

 町では、日野商人の文化が息づくこの貴重な文化財を、適切な保存と修復を行いながら後世へと継承していくとともに、日野の歴史や文化に関する史資料の保存及び活用、また、それらを生かした体験や交流、情報発信の場となるよう、近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」と名称を新たにし、平成27年4月1日に開館いたしました。

 旧山中正吉邸の敷地面積は約にまるまる2,000㎡に及び、うち、馬見岡綿向神社の参道に面する約1,300㎡には多くの建物が立ち並んでいます。旧山中正吉邸の歴史は、初代正吉が幕末期の万延元(1860)年に仁正寺藩から土地を拝領したことから始まりました。幾度かの増築・改築を経て、現在のかたちになったのは、昭和13(1938)年頃といわれており、住居部であった主屋は、この地方の農家住宅に典型的な四間取り型を踏襲し、台所土間には黒タイル貼りの大釜付の五口くど(カマド)が残されています。  また、接客の場として使用された数寄屋風書院造りの新座敷、洋間、さらには、シャワー完備の浴室など、商家の暮らしぶりを随所に感じることができます。

 

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★フト何気なくパソコンで開いたHPに『旧山中正吉邸』が眼に止まり半世紀の変わりように驚き『和子の日記』に記載を思い付きました。

 

今からさかのぼる事50数年昔、和子は20代に差し掛かった頃、5人兄姉の

末っ子に生まれ、行儀見習いもさせて無いし・・・「暫く行儀見習いに行きなさい」と両親に言われ、この静岡で酒屋さんを営む本宅に一年お手伝いさんに

行きました。此処は母の姪っ子と、この山中様の親奥様と女学校時代のお友達でした。昔はオバサンと姪っ子と言っても歳の差は2歳しか違わず、和子とは

従姉妹に成りますが、オバサンの様で、此処の山中様の親奥様は母と同じ歳で65歳でした。

聞く所に依ると42歳でご主人を亡くされ未亡人で男の子3人、女の子3人の6人の子供を大きくして静岡のお店を(酒屋)を守って来た方だから其れはそれは気位の高い

親奥様で天皇陛下皇后陛下かと同等気分の立派な方でした。

和子がこのお宅にお世話に成った当時は、6人の子供さんは其々に所帯を持ち、長男の旦那様「5代目・山中正吉」と奥様・子供さんが小学4年生を頭に、女の子が3人・一番下に2歳の男の子さんと7人家族で、その他にお手伝いさんが和子を入れて3人と畑専門のオジサンで(和子と一寸精白児っぽいオジサンは住み込みで2人のオバサンは通勤で家の中と畑専門分野でした。和子がお住まいとして借りた部屋は

土間の上の屋根裏部屋で6畳3部屋有って一番奥の部屋は段ボールのお部屋・真ん中を

挟んで玄関側の和子の部屋には裸電球が1個点き・夜中にはネズミの運動会が始まる夜も・・・此処で1年行儀見習いと称しお世話に成りましたが、学校を卒業して羽を広げて楽しい青春時代を過ごした和子には過酷な地獄の様な1年でした。

 

【誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ(シルバー川柳)】