散歩仲間のオジサン-1・・・

冬場は早朝は暗いから夫が「寒い中で発作を起こして倒れると困るから

早朝さんは行かない様に・・・」と注意を受けて何時も9.00時か9.30分に

主婦業(掃除・洗濯)を終わらせて何時ものコースを散歩します。早朝の

仲間は滅多に逢いませんが、時々早朝で逢ったオジサンと逢う様に成りました。

彼は「膝が痛いから無理をしない事にした」と言い以前は駅前の通りの

不動坂下辺りから歩いて昇って来て居たそうです。

 

彼は月曜日はボランティアで三渓園の園内案内をして居るとか?

以前は自宅から早朝に歩いて来て居た頃にお互いに自己紹介をして

フルネームを教えて貰い、「私は滋賀県の出身です」と話したそうですが・・・

和子は偶にしか逢わないからお名前もすっかり忘れて(駅前の通りから

来て居るオジサン)とだけしか覚えて居ませんでした。所が彼は和子の事を

しっかり覚えていて、「この間は滋賀県彦根城に行って来たんだよ~」とか

比叡山に行って来た」とか?話して呉れて・・・

随分、物覚えの良いオジサンだなぁ~って思って居ました。

 

  【長寿者に 「ひけつ」何かと 医者が聞き(シルバー川柳)】

大切なお友達・美祢ちゃん(仮)-1

美祢ちゃんは今から40年位昔に東芝にパートで行って知り合った彼女で

和子より5歳年上のお姉さんです。彼女は洋光台の北団地に・和子は

南団地に住み東芝のお友達5~6人とツアーで旅行に行ったり~

部長に誘われて汐見台のお寿司屋さんに連れて行って貰ったり・・・当時

東芝のパートの時給が500円の頃、昭和55~6年頃だったかな?

部長にフグ料理を食べに連れて行って貰い、フグ料理は高級で、部長に全額

ご馳走に成るのは一寸不味いからってその時は7人で割り勘でご馳走に・・・

 

東芝を退職してからも・・・2人で偶に食事に行ったり~色々と愚痴話を

聞いて貰ったり・・・彼女のお宅にも何回かお邪魔してご主人とも仲良く

楽しい一時を送りました。

有る時、美祢ちゃんのご主人に「この財布壊れて来たから新しいのが欲しいけど

中々高くって手が出ないのよ~」って話したらご主人が和子に素敵な財布を

買って呉れた事も・・・勿論美祢ちゃんの了解を得て・・・

【聞くたびに 話しが違う 「若い頃」(シルバー川柳)】

宅急便・・・

何時も田舎に帰ると姉の家に泊まってお世話に成るし・・・姉が

「童謡唱歌のCDを買って聞いてる」と聞き、毎日早朝散歩に行って

皆さんと唱会で歌って居る「憩いの唄」の歌集を8冊CDを添えて送る事に

 

段ボウルの箱に歌集とCDを入れてクッションにエプロンとか使い古した

タオルの雑巾を数枚を入れて勿論手紙を添えて送りました。2日程して姉から

電話が有って取っても喜んで呉れましたが、「最近は物騒なご時世で宅急便の

お兄さんが『横浜の00和子さんからです』と言われたけど、マサか

かーこからだとは思わず、開けたら爆発するかと思い、宅急便のお兄さんに

確認して貰って開けたとか?CDも去る事ながら雑巾が嬉しかった・・・って(笑)

やがてお寺の磨き物に行くのにちょうど良いから助かった」って((^▽^笑) )

今頃、時々聞いて居るのかな?(笑)

 

【介護され 初めて気付く 親不孝(シルバー川柳)】

童謡唱歌の歌集・・・

2年に一度同窓会が有って、田舎に帰るのですが、5人居た兄姉も順に

亡くなり、和子の実家は姪っ子が後を継いで居ますが、兄貴(長男)が

跡取り娘に養子を貰うのに和子達の実家は山奥で車で10分程街場に近い所に

家を建てて養子を迎え、長男夫婦も亡くなって今は、懐かしい故郷は廃居と成り

誰も住んで居ません。

 

和子の直ぐ上の姉は長男と同居して居ますが、2世帯住宅で義理の兄貴も

亡くなり一人で住んで居るので、姉に「同窓会で帰るから泊めて呉れる?」と

電話をすると快く引き受けて呉れて同窓会や両親・兄姉の法事に帰ると何時も

直ぐ上の姉のお宅でお世話に成ります。

何時か帰った時に姉が「童謡唱歌のCDを買って来て聞くのよ~最近は

テレビも面白くないから・・・」と言ってました。

 

和子は早朝散歩で6.30分の前に20分位皆さんと唱会をして楽しみ歌集も

当時8部位出来て居ました。そうだ~何時も泊めて貰ってお世話に

成ってるから、歌集を送って遣ろう・・・と思い付きました。((^▽^笑) )

【聞こえぬも 心配風呂場の 下手な歌(シルバー川柳)】

後輩からのミニメール-2・・・

後輩からのミニメールはどれ位続いただろうか?

暫く会社の当時の様子を話し、聞いて見たけど和子が居た頃の会社とは

別会社の様でした。パソコンで検索しても会社名は有り、懐かしい

昔の会社の風景も有りましたが・・・やっぱり半世紀は長いですね?(笑)

 

所で後輩のメル友さんは毎日メールを呉れて「愛知県の方にメール友達が居て

近いうちにデートするんだ」と言って喜んで居ました。

「実はその彼女は耳に障害が有ってメールではお話しが出来るけど~逢ったら

手話か筆談の会話に成る」とか?

未だ18歳で結婚を考えて居るとは思わなかったけど~「両親に逢わせる」とか

その後、メールは途絶え終わりに・・・

 

【躓いた 小石にとしを 教えられ(シルバー川柳)】

後輩からのミニメール-1・・・

ミニメールを始めて2~3年の頃に滋賀県の18歳の男性からメールを

頂きました。和子の目標は自分より年上の方を望んで居ましたが、18歳とは

我が息子より若い男性でした。彼は「滋賀県で織物工場に勤めて居ます」と有り

伺った所、まさしく和子の後輩でした。

 

和子が勤めて居た頃は800人からの従業員で社員寮が北寮・南寮・洋館の

3階建ての中寮が有って織物工場が西と東に・・・その他加工工場とかなり

大きな会社でした。所が聞く所に依ると和子が50代の頃でも繊維関係は

不景気だったのか?「今は100名ほどで反物は織って居ません」と聞き

時代の流れを痛感しました。

 

和子がこの会社で働いて居た頃、和子は男性4人・女性2人で縦糸に糊を

漬ける工程で男性は3部制で働いて居ました。当時一緒に働いて居た一郎さんは

和子より2~3歳年上で風の便りで「事務所に入り事務をして居る」と

聞いた事が有った。18歳の男性とメールを始めた時に一郎さんは60歳前で「

男性だから、未だ働いて居ると思い彼に、一郎さんの存在を伺った所

その男性は居ないと・・・和子が微かに好意を持って一郎さんに花火に

連れて行って貰ったり・・・素敵な男性だったのに・・・残念(笑)

【還暦は シルバーシートを 浅く掛け(シルバー川柳)】

ひな型メール・・・

有るサイトからミニメールと言う項目を見つけてメールを初め数人の方から

メールを頂き、メール友達と「お互いの家庭を乱す事なく心を開いて語り合える」

と言う条件で数人の方とメールを初め、仕事から帰ってパソコンを開くのが

取っても楽しみでした。高木さん(仮)とは画像と音楽でしたが、今度は

違うメル友さんから「ひな型メール」と言うメールを頂き、此れも又々感動・・・

 

このひな形メールは「Windows・98からxp・Vista」までのパソコンで

楽しめましたが、その後のパソコンではひな型メールは出来なく成って非常に

残念でしたが、其れはそれは楽しい和子の思い出の一ページでした。

新しく出来たメール友達にも教えて上げて・・・喜ばれた事も・・・

 

【離れ住む 子らに病む日も 無事と書き(シルバー川柳)】